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「三、徴兵延期停止」

昭和十八年九月、二年次の期末試験も終わったある日、家庭教師をしていた家のお嬢さんに誘われて、当時内幸町にあったNHKのスタジオに、勧進帳の放送風景を見に行った。

マイクに向かって歌舞伎役者が台本を手にごフジオ放送をしているのを、ガラス窓越しに観客席から見ていたら、突然芝居を中断し、「臨時ニュースをお知らせします、臨時ニュースをお知らせします」という声がけたたましく流れてきた。

すわ何事ならんと耳をすませていると、「戦局重大なる時局に鑑み、文科系学生の徴兵猶予を停止する」という東条首相の声明を放送している。後に学徒出陣といわれることになった措置である。

私のような貧弱な体でも、いずれは戦場にとは思っていたものの、余りにも唐突な発表に、一瞬呆然となった。
しかし、他人の目がある。私はつとめて平然たる素振りをしていたが。
「大変なことになりましたわ。こうしてはおられませんね。もう帰りましょう。」
と、お嬢さんは席を立とうとした。
「いや、折角だから終わりまで見ましょう」
と、私は強がりを言って、引続き始まった勧進帳を見続けたが、もう心はここになかった。

観劇が終わって表に出たら、灯火管制下の街は、ことさら暗く、危うく石段を踏み外そうとした。動揺する心を見透かされたのではないかと一瞬思ったが、彼女はなにも言わなかった。虎ノ門へと向かう道は暗く、靴音だけが夜の通りに響いていた。

(注)徴兵猶予=徴兵の時期を延ばすこと。旧兵役法では学校在学中の者や国外にある者などに対して適用。
(注)学徒出陣=太平洋戦争下の一九四三年、学生・生徒の徴兵猶予を停止し、陸海軍に入隊・出征させた。
(注)灯火管制=夜間、敵機の来襲に備え減光・遮光・消灯すること。

ramtha / 2015年6月25日