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「日本の文字体系の素晴らしさ」

漢字は中国で作られ、朝鮮半島経由でわが国に入って来た、いわば輸入品であるが、今ではもう日本人の生活にとっては無くてはならない必需品になっている。


私は不勉強で外国のことなど分からないが、韓国や北朝鮮では、中国と地続きで、直接その支配下に置かれた時代もあり、長年にわたり漢字を記録・通信の手段としてきたが、漢字をそのまま使用し、日本のように、漢字にその意味の自国語をあてて読む「訓読み」ということはしなかったようである。


そういうことで、韓国では一握りの知識階級が主として行政の手段として利用したもので、庶民は漢字を学ぶこともなかったらしい。


西暦一四四六年李朝の世宗が、庶民も使用できる韓国語の為の文字、ハングルを制定したと言われている。


広辞苑の解説によれば、ハングルは母音・子音二八字からなる音標文字で、今は十の母音と十四の子音を用いているという。日本のひらがなやカタカナと同じ表音文字で、母音と子音を組み合わせる所はローマ字表記と同様なものということだろう。


しかし上流階級の人々は、ハングルは下々の者が使うものと軽蔑する傾向があり、公文書などはもとより、私生活でも、ずっと漢文・漢字を使用してきたようである。


ところが第二次大戦後、日本の支配から脱却、独立を契機にナショナリズムが世の思潮となり、長年使用してきた漢字を外来文化として排撃することになったと聞いている。


そう言えば時折目にする韓国ドラマでも、タイトルや出演者の名前など全てハングルで書かれている。しかし新聞記事で見る政府要人の氏名などには漢字が用いられている事も多い。長年使用してきた慣習は、なかなか廃絶しがたいことが窺われる。


それにしても、日常生活や学校教育では、どうなっているのだろう。学校で漢字を教えていないとすれば、歴史上必要な文献や資料を見るのに困るのではと思われる。


またわれわれ日本人は、哲学、解析、抽象などの学術用語はもとより、自動車、携帯電話などの日常生活用語においても、漢字熟語を使用することで大変便利をしている。われわれが使用している膨大な漢字熟語を、すべて日本古来の大和言葉に置き換えるなど、もはや不可能なことは明らかである。


他方。表意文字の漢字だけを表記の手段としている中国の事を考えてみる


漢字は目、耳など人体の部位や、山・川など自然物の形を簡略化して表す象形文字に始まって、柱・帽子などの加工品や、取る・尊ぶなどの動詞、あるいは団結・約束のような抽象的概念をも、それぞれの言葉に対応する漢字を作ってきた。そのために既存の象形文字を組み合わせて新しい漢字を作る、会意、形声という方法を案出し、これによって何万という夥しい漢字を作る事に成功している。

しかし人類社会の発展はとどまることを知らず、新しいものを発明し、新しい概念を捻出している。漢字表記に依存する中国では、これに対応する字を作る困難に遭遇しているのではないか。


最近は、経済、文化のグローバル化により、わが国ではカタカナ語の氾濫が目覚ましい。明治維新前後の欧米文化の移入に際しては、当時の知識人が、それぞれに必要な翻訳語を、漢字の新しい組み合わせによって適切な熟語とすることに成功したこれによって日本人は極めて短期間に欧米先進国の文明を自分のもにとすることが出来たが、今にして思えばこれは素晴らしいことである。


しかしこれには、この翻訳語の意味を概ね理解出来た当時の一般庶民の漢字素養と、それを可能にする見事な翻訳語を作った人たちの、漢字についての深い造詣を見落としてはならない。


第二次大戦後、アメリカ文化の流入に伴い、これを一般大衆のものとするためには、わが国は再び大量の翻訳語を作ることが必要となった。


しかしこれを担当すべき昭和の知識人には、明治の先輩たちが身に付けていた漢字の素養がなく、翻訳語を作るだけの力量を持っては居なかった。その結果、彼等は原語の日本式発音をそのままカタカナ表記して済ませることにしたものらしい。


だから私のような老いぼれは、次々に現れるカタカナ語について行くことが出来ず、新聞を見ていて分からないカタカナ語に遭遇し、困惑することがしばしばある。


そんなことで、もう何年か前、カタカナ語辞典というものを購入して利用してきた。ところが最近現れたイキのいいカタカナ語は見当たらず、この辞典の賞味期限ももう長くないのかと思ったりしている。


漢字による翻訳語に比べ、カタカナ語の機能は著しく劣るが、外来語の発音(それも日本訛りのものではあるが)だけは私にも分かり、それを頼りに人に教えてもらうことはできる。

表意文字の漢字のみを表記手段としている中国ではどうしているのだろう。漢字の本家本元だから豊富な漢字の造詣を駆使して次々と翻訳語を案出しているのだろうか。よくはわからないことだが、どうもそうではないらしい。そもそも漢字は一物一字で、森羅万象あらゆる事物それぞれに対応することとなっているから、膨大な字数があり、「憂鬱」などそれこそ見ただけでユーウツになるような、画数の多い漢字がゴマンとある。そのため中国には文盲も少なくないと言われていた。

文盲解消と日常生活の効率化のため、今日の中国では簡体字が多く使われていると聞いている。しかしテレビなどで見る簡体字は、わが国の略字よりも、さらに省略されているようで、あれで誤りなく意味が伝えられるのだろうかと思われたりもする。


それはともかく、外国の文物を移入紹介するとき、如何なる場合も、漢字による翻訳語が作れるものか疑問になる。わが国のカタカナ語のように、簡体字を仮借して表音文字として使用しているのではあるまいか。不勉強な私にはいまだに分からない。


こう見てくると,日本語には、漢字在り、ひらがな、カタカナあり、複雑きわまりないと外国人からしばしば避難されているようだが、簡潔な表現・類推を可能にするなどの表意文字の特性を備えた漢字と、表音に徹して全ての事物を表す、ひらがな・カタカナを併せ持つ日本の文字体系は、世界に誇る貴重な財産と思われる。

戦後、制定された常用漢字は、従来の字形をずいぶん略字化してあり、手書きの苦労は少なくなったが、漢字の表意文字としての特質は著しく失われてしまった。


ワープロやパソコン使用が日常化した今となっては、全く無駄なことをしたもので、悔やまれてならない。





(平成二十五年 一月十八日)

 

 

 

ramtha / 2013年3月6日