筋筋膜性疼痛症候群・トリガーポイント施術 ラムサグループ

「おしゃべり」

昨日のテレビで、最近独り暮らしの老人が増えて来ているが、独居老人は外部との接触がなく、終日人と話をすることなく過ごしている人が少なくないという。とりわけ男性にその傾向が強いとか。
 
そう言えば、女性は独り身になっても、やれフォークダンスの、やれ料理教室のと、毎日のように出かけている。主人が健在な時でも「亭主元気で留守がいい」ということらしいから、主人が居なくなったらこれ幸いと羽を伸ばしているのだろう。
 
それに比べると、定年まで会社一途(いちず)に働き詰めに働いてきた男性は、職場を離れて家に入った途端、出不精になり、たまに昔の仕事仲間と赤提灯で杯を交わす以外は家に籠もりきりという人が大半ということのようである。
 
人と会話を交わさない暮らしが長くなると、会話で脳を刺激する機会が失われ、認知症になりやすいと、テレビでは識者のコメントが添えられていた。
 
わが家では、家内も年と共に動作は遅くなってきたものの、まだ健在だから会話を交わすことが無いなどと言うことはない。しかし足腰が衰えて、月に一度病院へ行く以外は外出することも無い私は、他人と喋る等ということは皆無に近い。
 
喋ることが認知症予防に有効な手段とは、今まで知らなかったが、務めて喋ることにせずばなるまい。最も耳も遠い私では家内も嫌がることだろう。仕方が無いので、せいぜい独り言でも呟くことにするか。
 
若い頃小学校の教員をしていた母から、毎日学校から帰ってきたら、その日学校で見聞きしたことを話すように言われていたが、あれは、わが子の躾のためというより、知能の発達を期待してのことであったのかも知れない。
 
生来の悪筆であった私は、字を書いて勉強することが苦手で、母親への報告で復習を済ませていた。
 
他人に喋るということは、自分の意思を相手の理解しうる言葉にして伝えなければならない。そのためには、その都度意識してはいないにしても、喋る前に、伝える内容を頭の中で整理することになる。それによって、いままで漠然として意識に過ぎなかったものが、ハッキリとして考えにまとめられ、自分自身の知識となる。
 
だからAさんから聞いて得た知識を自分のものとするために、聞いた話を忘れない内にBだんに伝えるようにする事にした。
他人から見れば煩(うるさ)い奴だと思われたこともあったかも知れない。しかし、私はその方法を職場の部下の指導にも用いてきた。
 
同業者の会議は社外の研修会などに出席した者には、翌日必ず聞き得た内容をできるだけ詳細に報告させ、私も報告を受けた内容を自分が復唱して確認するように努めてきた。
 
しかし、年と共に職務範囲が広がり多忙になると、そうはして居られなくなり、いつの間にはその習慣も失われてしまった。
 
寡黙は日本人の美徳とされてきたが、無駄話をして多少品格が落ちても、認知症で他人に迷惑をかけることがないようにしなければなるまい。
 
(平成二十五年八月二十三日)
 

ramtha / 2014年2月17日