今朝の毎日新聞の「時代の風」欄には、京都大学の山極寿一学長が「父親不在の日本社会」と題する論説を書かれておられる。現代日本社会が直面する問題の核心を抉り出された名文で、深く感銘を受けたので、そのほとんど全文を書き留めることとする。
なお、思考力の衰えた私自身の理解を容易にするために、敢えていくつもの文節に区切って記載する。
① 動物にとって余分なものである父親を作ったことが人間社会の基本となっている。動物のオスは子孫に遺伝子を提供することはあっても、常時子供の世話をする父親になることは稀だ。哺乳類では育児がメスに偏っており、オスが育児に参加するのは狼などの肉食動物にほぼ限られている。
② ではなぜ、人間の社会は父親を作ったのか?それは人間が頭でっかちで成長の遅い子供をたくさん持つようになったからだ。豊かで安全な熱帯雨林を出て、危険で食物の少ない環境に適応するため多産になり、脳を大きくする必要に迫られて体の成長を遅らせた結果である。
③ 母親一人では育児ができなくなり、男が育児に参入するようになった。しかし、育児をするだけでは父親になれない。父親とは、共に生きる仲間の合意によって形成される文化的装置だからである。
④ ゴリラの社会を見るとそれがよくわかる。ゴリラは霊長類の中でオスが子供の世話をする希な種であるが、このオスも自分の意思だけでは父親になれない。まずメスから信用されて子供を預けられ、次に子供から頼りにされなければ、父親としての行動を発揮できない。
⑤ オスは母親が置いていった子供たちを一手に引き受け、外敵から守り、子供たちが対等に付き合えるように監督する。父親になったオスはメスや子供たちの期待に応えるように振る舞うのである。
⑥ 人間社会は母親や子供だけでなく、隣人の合意も得なければならない。ゴリラは家族的な集団で暮らしているが、人間はどこでも複数の家族が集まった共同体をつくるからである。
⑦ 家族と共同体の論理は相反することがある。親子や兄弟は互いにえこひいきするのが当たり前で、何かしてもらってもお返しが義務付けられる事は無い。しかし共同体では互酬性が基本で対等なやりとりが求められる。この二つの論理を両立させられないから人間以外の霊長類は家族的な集団か、家族のない大きな集団で暮らしている。
⑧ 人間が二つの相反する論理を両立させることができたのは、複数の男を父親にして共存させることに成功したからである。哺乳類のメスが母親の時期と繁殖可能な時期を重複させることが難しい。授乳を促進するホルモンが排卵を抑制するからである。一方オスは常に繁殖可能で、メスの発情に応じ交尾する。
⑨ 人間は男に繁殖と育児の役割を与えて父親を作ったからこそ、女も繁殖と育児の両立が可能になった。だから女も男も家族と共同体に同時参加できる社会を作ることができた。えこひいきと互酬性を男女共に使い分けられるよう共感に基づく社会を作ったのである。
⑩ しかし昨今の日本社会を見ると、父親が実際に余分なものになりつつあるようだ。イクメン、イクジイと言う言葉が流行るように、育児をする男は増えた。だが家族同士の付き合いは薄れ、地域で共同の子育てをすることが減った。母親と子供だけに認知されたゴリラのような父親が増えていくのではないだろうか。
⑪ 経済的に自立できず、結婚できない男性や、結婚せずに1人で子供を産んで育てる女性が増えていると聞く。これではせっかく人間が作り上げた虚構性、すなわち誰もが親になれる社会の許容力と柔軟性が崩れてしまう。
⑫ 人間がゴリラと違うのは、自分が属する集団に強いアイデンティティを持ち続け、その集団のために尽くしたいと思う心である。これは子供時代に、すべてを投げ打って育ててくれた親や隣人達の温かい記憶によって支えられている。そのアイデンティティと共感力が失われた時、人間は自分と近親者の利益しか考えない極めて利己的な社会を作り始めるだろう。父親を失いつつある日本社会は、その道をひた走ってはいないだろうか。
第二次世界大戦の敗戦と米軍の占領統治によって日本人の価値観が大きく変わったことも、風俗習慣の目まぐるしい変化も体験してきたことではあるが、生活して行くためにがむしゃらに働くばかりで、時代の変遷など観察する余裕はなかった。平成に入り、東京からここ飯塚市に引き上げ、隠居暮らしの身となってから、激動の昭和を顧みてただ呆然と佇むばかりであるが、この国の行方に一抹の不安を感じていたものの、その正体が何であるかは捉え得ずにいた。今回山極先生の卓説を拝見し、大いに納得させられることであった。
それにしてもどうしてこんなことになったのだろう。
こうした現象を招いた要因はいくつもあり、それらが互いに影響し複合してのことであるに違いないが、私なりに思い当たる事を並べてみよう。
一、昨今シングルマザーとかニートとか言われる男女の親の世代は67歳前後のいわゆる団塊の世代と言われる人々ではあるまいか。
考えてみると、彼らは戦後間もなく産まれ小学校入学までくらいは物のない時代を経験したかもしれないが、昭和25年の朝鮮戦争勃発により、日本は米軍の物資調達で戦時景気に沸き、続いて高度成長へと駆け登った。
都会の人手不足から集団就職と言われる時代で、恵まれたサラリーマン生活を満喫した世代である。
そうした家庭で何不自由なく育った世代が今の日本を背負っているわけである。学校にもいかず、仕事も3Kは嫌だと親の脛かじりや引きこもりの若者が少なくないという。考えてみれば、高度成長路線をひた走る間に、子供の躾けや教育を取り落としていたのではないか。
二、人口の都市集中で地価の高騰を招き、また家電商品の氾濫で、一般大衆のライフスタイルも近代化し、住宅金融公庫の設立(昭和25年)による住宅ローン制度もあって、アパート・マンション生活者が激増した。
それまでの下町の長屋では夏場は建具も開け放ち簾越しに道行く人に話しかけるような雰囲気であったものが、ドアの鍵一つで出入りし、 「隣は何をする人ぞ」の近隣関係となってしまった。
夫婦共働きが当たり前になり、子供も鍵を持たされ親のいない我が家の錠前を開けて出入りする、いわゆる「鍵っ子」と言う言葉ができた。私がその言葉を知ったのは昭和四十六年のことだから、当時の「鍵っ子 」はもう50歳前後。これでは近所付き合いも様変わりするはずだ。
三、近隣関係が希薄になった要因の一つはプライバシー尊重の風潮が挙げられる。昭和二十年代、私は吉隈炭坑の労務係をしていたが、その頃国勢調査の調査事務をさせられたことがある。もう六十年程も昔のことで詳細な事は忘れてしまったが、家族全員の性別、生年月日、職業、学歴、出生地、続柄など、すべて聞き取り調査をさせられたことであった。今時の国勢調査はどんなことになっているか知らないが、プライバシーが煩い今時あんな事はしていないに違いない。しかし政府の政策立案に不便はないのだろうか。
そういえば、こちらに来た当初のことだから、平成元年だったと思うが、近くの交番のお巡りさんが戸別訪問にきて家族構成や前住所、大人は職業、子供は通学学校名等を調べていった。その後その交番は廃止され、お巡りさんも来なくなった。あれもプライバシーの尊重による措置であったのかな。
渋谷駅前の交番はテレビでしばしばお目にかかるので未だに健在のようであるが、昔は全国津々浦々に会った交番は今どうなっているのだろう。ずいぶん減らされているのではないか、日本が世界一治安の良い国と言われたのは、この交番のお巡りさんに支えられていたもので、近頃治安が悪化したと言われるのも、交番が減らされているのではないかと思われる。安倍総理よ、国会議員の人員や歳費を削ってお巡りさんを増員することは考えないのか。観光立国を掲げるなら、治安第一、これが一番の特効薬だよ。
四、最近の児童虐待事件で、虐待の噂があっても、玄関先で親が応対して否定すれば児童相談所の係員も引き下がるよりほかに術がないと言う。これなどプライバシーが犯罪捜査や事故調査の障害になっている。
プライバシーの尊重も、元は悪用するものが居たから始まったことであろうが、世相が悪くなればますます尊重の壁が高くなり、捜査を難しくするばかりと思われる。
官僚は所管事項についての不具合に対して素早く対応することが使命で、規制の上に規制を積み上げていくことになるのは仕方ないことだろうが、政治家は長い目で国民の倫理道徳意識を高める方策を考えてもらいたい。
もっとも政治資金収支報告書のデタラメな記録が公になっても、なお議員を続けるような厚顔無恥な議員がいるような今の政治家に望むべきこともないか。
日本人は我慢強いから、デモをしたり国会議事堂に投石したりはしないだろうが、今回の選挙の低投票率が示しているように有権者の政治不信が累積して行くことが恐ろしい。
(平成二十六年十二月二十一日)
ramtha / 2015年5月27日