筋筋膜性疼痛症候群・トリガーポイント施術 ラムサグループ

「世界を戦争に導くグローバリズム」

近頃しきりに「グローバル化」と言う言葉を耳にする。不勉強な私にはよく分からないが、ただ漠然と交通通信手段の発達により、様々な人達が国境を越えて交流し、互いに異国の文化に接する機会が増え、相互の理解が深まり、国家間の紛争が事前に防止され、平和が増進すると言う良いことづくめの印象で受け止めていた。

ところが横浜の次男から「世界を戦争に導くグローバリズム」という本が送られてきた。老骨の目を驚かす題名ではないか。早速ひもといてみたが不勉強な私には教えられることが少なからずあった。その中の幾つかを忘れぬように書き留めておく。

① 2012年12月アメリカの「国家情報会議]が「グローバル・トレンド2030」という報告書を公表した。この報告書は、アメリカの外交戦略、世界情勢の行方、そして我が国の将来を占う上で、非常に重要な文書である。

その中に次のような象徴的な一節がある。
「1815年、1919年、1945年、1985年のような先行きが不透明で、世界が変わってしまうような可能性に直面していた歴史的転換点を現在の状況は想起させる」

1815年とは、ナポレオン戦争が終結し、イギリスが世界の覇権国としての第一歩を踏み出した年である。

1999年(大正八年)とは第一次世界大戦が終結し、イギリスが覇権国家としての地位を失った年である。

1945年(昭和二十年)は、第二次世界大戦が終結した年であり、これ以降いわゆる東西冷戦時代となりソビエト連邦とアメリカが、それぞれ東側世界と西側世界における覇権国家として君臨した。

1989年(平成元年)は、ベルリンの壁が崩壊し冷戦が終結したとされている。

国家情報会議は現在の世界が、こうした世界史の一時代を画する年に匹敵する一大転換期にあると述べているのである。しかも単なる転換期では無い、1815年、1919年、1945年、1989年とはいずれも、イギリス、アメリカ、ソ連といった覇権国家の興亡を決定づけた年である。

ここに示された時代認識の意味するところは明白である。すなわち、現在冷戦終結後に形成された世界秩序が崩壊しようとしているということであり、その世界秩序を支えてきた覇権国家がその地位を失いつつあるということである。

② 冷戦終結とソ連の崩壊によって米ソの二極体制は終焉を迎え、世界はアメリカ一極体制になった。そう考えたアメリカは、唯一の超大国としての比類なきパワーを背景にして、アメリカが理想とする新たな世界秩序の建設に乗り出した。それは政治的な自由主義、民主主義、法の支配、経済的な自由主義といった価値観に基づく国際秩序であった。

③ この一極主義戦略の下、アメリカはコソボやソマリアにおける紛争に対して、人道的介入を行った。
これは従来の国際秩序の基礎にあった主権国家と言う枠組みを踏み越えて、他国に介入すると言う野心的試みであった。人道という普遍的価値が国家主権と言う規範の上位に立つ秩序の建設をアメリカは目指したのである。

④ さらに2001年(平成十三年)に9.11テロが勃発すると、ブッシュ政権は「テロとの戦い」を掲げ、さらには中東諸国の民主化を企てるという途方もないプロジェクトに乗り出した。
経済面でもアメリカはWTO (世界貿易機関)の設立を主導し、経済自由主義に基づく国際経済秩序の建設を目指した。このWTOの下では、これまで自由化の対象外とされていた農業関税やサービス分野の非関税障壁など、各国の国内制度の改変をも、対象とされることとなった。
これは工業関税の引き下げを中心とし、各国固有の制度や国内事情に配慮していた従来のGATT(関税と貿易に関する一般協定)の枠組みを踏み超え、経済自由主義的な一律の制度によって、各国の経済的な国家主権を大幅に制限しようとする急進的なものであった。

WTO以外にも、例えばIMF(国際通貨基金)や世界銀行は、アメリカの経済自由主義の教義(いわゆるワシントン・コンセンサス)の強い影響の下、開発途上国に対して融資の条件として、貿易や投資の自由化、民営化、規制緩和などを推進して行った。

こうしたアメリカの経済面での一極主義は、いわゆるグローバル化をもたらした。
グローバル化とは、歴史あるいは市場の法則に従った潮流などではなく、アメリカという覇権国家による一極主義的な世界戦略の産物なのである。

⑤ アメリカは冷戦終結後の中国に対しても、一極主義的な戦略で臨んだ。中国がグローバル経済に参加して経済的繁栄を享受するのを支援し、その代わりにアメリカが圧倒的な優位に立つアジア太平洋の秩序を認めさせると言う戦略である。こうした戦略の下、アメリカは2000年(平成十二年)に、中国に対して恒久的な最恵国待遇であるPNTR(恒久的正常貿易関係)も付与し、WTOへの加盟を承認した。

その結果中国は、世界市場における生産拠点そして有望な投資先となり、グローバル化は加速したのである。

⑥ しかし、冷戦終結からおよそ二十年にして、この世界戦略は、完全に行き詰まってしまったのである。
まず2003年(平成十五年)に「中東の民主化」を大義として開始されたイラク戦争が手ひどい失敗に終わり、アメリカの国力と威信を大きく傷つけた。
その一方で、2000年代半ばより、中国が軍事的にも経済的にも東アジアにおけるアメリカの優位を脅かすようになった。

しかし、そもそも中国のグローバル化を支援し、経済大国そして軍事大国として成長させたのはアメリカである。アメリカは、中国をグローバル経済に統合し、経済的繁栄の恩恵を与えれば、中国がアメリカ主導の国際秩序を受け入れるものと考えていた。しかし実際には、中国は東アジアにおけるアメリカの覇権に挑戦するようになり、国際秩序の不安定要因となったのである。

⑦ このように2000年代に起きた大きな変化は、いずれも冷戦終結後のアメリカの一極主義的な世界戦略の失敗を意味するものであったのである。
こうして政治的な一極主義が頓挫する一方で、経済的な一極主義であるグローバル化もまた挫折を迎えることとなった。

経済自由主義に基づく経済政策は、資産バブルを引き起こした。その資産バブルが2007年(平成十九年)に崩壊してサブプライム危機が発生し、さらに2008年には世界金融危機が勃発した。その結果、アメリカには巨額の政府債務と民間債務、経常収支赤字、不安定な金融市場、低い成長率、高い失業率、そして異常な経済落差が残されたのである。

⑧ 「グローバル・トレンド2030」はアメリカが覇権国家としての地位を喪失するという認識に立って次のような世界を予測している。

まずアジアはGDP(国内総生産)、人口規模、軍事費、技術開発投資に基づくパワーにおいて、北アメリカとヨーロッパを凌駕する。中国、インド、ブラジル、コロンビア、インドネシア、ナイジェリア、南アフリカ、トルコがグローバル経済にとって重要となる。他方でヨーロッパ、日本、ロシアは相対的な衰退を続ける。

2030年のアメリカは、諸大国のうちの「同輩中の主席の地位」にとどまっているだろう。

⑨ とりわけ着目すべきは2020年代に中国がアメリカを抜いて世界最大の経済大国となると予測していることである。ただし、中国が実際に経済大国になるかどうかが重要なのではない。アメリカがそういう可能性を念頭において、今後の外交戦略を決めて行くであろうことが重要なのである。

⑩ 海洋秩序については、二十世紀の大西洋のように、インド・太平洋が二十一世紀の国際海上交通の中心となる。世界の主要なシーレーンに対するアメリカの海軍覇権は、中国の外洋海軍の強化によって消滅して行く。

⑪ 東アジアの秩序についてはどうなるのか。「グローバル・トレンド2030」は、次の四つのシナリオを想定する。

第一は、アジア地域のアメリカの関与が継続し、現在の秩序が今後も維持されるという現状維持のシナリオ。

第二は、アメリカのアジア地域への関与が減少し、アジア諸国がお互いに競合し、勢力均衡が生まれるという多極化のシナリオ。

第三は、中国が政治的に自由化し、多元的で平和愛好的な東アジア共同体が成立するという、いささか楽観的なシナリオ。

第四は、中国が勢力を拡張し、東アジアにおいて中国を頂点とした他の地域に対して排他的な「華夷秩序」が成立するシナリオである。もしインドが大国として台頭するのに失敗するか、日本がその相対的な衰退から逃れられない場合には、このシナリオが実現する可能性が高い。
ただし「グローバル・トレンド2030」は中国の経済大国としての台頭を必ずしも確実視しているわけではない。
中国がより持続可能で、技術革新を基礎とした経済モデルに移行するのに失敗するかも知れない。
豊かな沿岸部と貧しい内陸部との格差が拡大する可能性もある。極端な場合には、チベットや新疆ウイグル地区の分離独立運動が強まり、中国は崩壊する。
そうなったら中国の行動はより予測不可能になり、国内問題から目を逸らさせるために対外的に攻撃的になるかも知れない。その際、もし隣国やアメリカとの紛争に敗北するならば、東アジアの覇権国家になるという中国の夢は水泡に帰す。逆に勝利するならば、第四の中国覇権シナリオが成立する可能性が増すだろう。

⑫ 世界全体の将来について言えば、最悪のシナリオは、アメリカやヨーロッパがより内向きとなり、「世界の警察官」が不在のまま国家間紛争のリスクが増大することである。逆に最善のシナリオは、アメリカが中国と協力し様々な問題に対処することである。

「グローバル・トレンド2030」は、米中が協力関係を構築するというシナリオを「最善」としている
残念ながら、最善、最悪いずれのシナリオも日本にとっては最悪である。

⑬ アメリカの外交方針には、伝統的に自由や民主主義のような価値観を重視する理想主義と、勢力均衡を重視する現実主義という二大潮流がある。

1989年(平成元年)から1993年(平成五年)までのジョージ・H・W・ブッシュ(ブッシュ・シニア)の外交方針は現実主義であったが、2001年(平成十三年)から2008年(平成二十年)の大統領ブッシュ・ジュニアは、理想主義に傾斜していた。

1991年(平成三年)の湾岸戦争時、ブッシュ・シニアはクウェートに侵攻したイラク軍をクウェートの国境の外に追い出した時点で戦闘をやめ、当時のフセイン政権を打倒しようとはしなかった。
イラクの大国化は許さないが、フセイン政権を温存して、封じ込めておく方がよい。下手にフセイン政権を武力で倒すと中東の勢力均衡が崩れ、国際秩序を維持する負担がかえって大きくなってしまう。ブッシュ・シニアは現実主義の戦略論に則ってこう判断した。

一方ブッシュ・ジュニアは、父とは対照的に、2003年(平成十五年)テロとの戦いや、中東の民主化といった十字軍的な大義を掲げてイラク攻撃を仕掛けた。
イラク侵攻は、中東の勢力均衡よりも、民主主義と言う価値の実現を重視する理想主義的な観点から正当化され実行された。

しかし、イラク戦争ではフセイン政権の打倒に成功したものの、イラクの秩序を再建することはできず、アメリカは多大なコストを支払う羽目になった。また、イラクのみならず中東全体の秩序が不安定化することとなった。理想主義の外交は、手ひどい失敗に終わったのだ。

⑭ 日本は中国との間で尖閣諸島を巡る係争などを抱え、日中両国の溝が深まっている。そこで日本は、日米同盟を強化しようとしている。しかし、アメリカはその覇権の後退を背景に中国との協調関係の構築を目指している。

また日本は理想主義を堅持し、それを強化しようとすらしている。日本が価値観を共有する国と言った時に想定しているのは、言うまでもなくアメリカである。しかし他ならぬアメリカが、理想主義から現実主義へと転換しつつあるのである。

⑮ この日米両国の外交理念の齟齬はいかなる事態をもたらすのだろうか。
第二次オバマ政権が発足したのが2013年(平成二十五年)二月に日米会談が行われたが、それから七月の米中戦略・経済対話に至るまでの、日米の対中外交を巡る動きを時系列に従って振り返ってみる。

三月十一日トーマス・ドニロン大統領補佐官は、アジア・ソサエティーでの講演の中で、アメリカの「アジア・ピヴォット」戦略は、中国の封じ込めを意味するものではないと述べた。

三月二十二日、中国人民解放軍が、2014年(平成二十六年)に米軍が主催する環太平洋合同演習(リムバック)に参加する方針であることが明らかになった。

四月中旬、ジョン・ケリー米国務長官が韓国、中国、日本を歴訪した。訪中したケリーは、北朝鮮の核開発問題について「米中という二つの超大国が、様々な問題を解決するためにどう効率的に協力すべきか、協力関係のモデルはどうあるべきかを決めるため、広範囲にわたる協力関係を開始したい」と述べた。

四月二十二日、マーティン・デンプシー統合参謀本部議長は、中国人民解放軍の房峰輝総参謀長との会談後の共同会見において、アメリカはアジアで「安定化の影響」をもたらす存在となるよう模索するとし、中国との間で改革をより良く、深化した「一段と持続する関係」を構築する決意だと述べた。

また、前国務次官補のカート・キャンベルは四月二十二日付の「フィナンシャル・タイムズ」紙に寄稿し、「世界で一番重要な二国関係は、米中だ」と述べている。

⑯ こうした中、四月二十二日、安倍首相は参議院予算委員会において、村山富市首相が1995年に、戦前の日本の植民地支配と侵略についての謝罪を表明した談話(いわゆる村山談話)について、安倍内閣として継承するものではないと明言した。この発言に対して中国や韓国のみならずアメリカも反発したのである。

四月二十六日の「産経新聞」は米国務省当局者が二十四日までに在米日本大使館を通じ、歴史問題に絡む安倍政権の一連の動きが周辺国との関係にもたらす悪影響についての懸念を伝えたと報じている。

以上、今まで漫然と見てきた国際情勢の裏に潜む真実に驚いたことの一部を書き留めてみたが、自分の無知を改めて思い知らされたことである。

(平成二十七年五月三日)

ramtha / 2015年7月25日