ネパールの大地震はまだ余震が続き、被害はさらに拡大していると伝えられている。
今日の毎日新聞の「余録」にネパールの支援をしている日本人の話題が取り上げられている。子や孫達にも伝えたいと思って、転記させてもらうことにした。
ネパールの教育を支援する兵庫県川西市のNGO代表世話人、石丸雄次郎さん(72 )の次女伸子さんは、平成十三年に三十五歳で亡くなるまで小児難病の胆道閉鎖症と闘い続けた。肝移植を二度受け、入退院は四十回を超えた。
伸子さんと同じ病気のネパールの乳児が平成六年、手術のために来日したが手遅れで帰国後死亡した。人ごとと思えず、二年後にネパールを訪問した石丸さんが、路上で生活する孤児や家族と一緒に工場で働く児童を見た。字を読めない子供も多い。
「病院も必要だが、学校を造るのが先」と言う看護師の言葉を聞き、NGO「アジア友好ネットワーク」を設立し寄付や募金による建設支援を始めた。完成した校舎は六十三校に上り、一万五千人以上の子供が学んでいる。百校を目標に張り切っていた時、ネパールは大地震に見舞われた。国連児童基金(ユニセフ)によると、飲み水の汚れが原因で子供が病気になるリスクが高まり、家族と生き別れた子供もいるとみられる。
石丸さんも家屋がすべて壊れた村が多いと聞いて胸を痛めている。建設支援した学校は鉄筋だが、現地の校舎のほとんどは土壁にトタン屋根で、崩壊した恐れがある。被災者が安心して眠れるよう生活支援を急ぎ、学校を復旧再開して子どもたちの日常を取り戻したい。
ヒマラヤを望む高地の村に建設した小学校には、伸子さんの死を悼んで村人が建てた慰霊塔がある。石丸さんにとって愛娘と会える大切な場所だ。「ネパールの子どもの笑顔が私の活動の力。少しでもあの子たちの力になりたい」。石丸さんが自分にできる支援をするため近く現地に入る。
耳が遠くなったことに加えて、脚が弱り街に出て行くこともなくなった私には、新聞だけが世間を知る窓である。だから国内外の政治・経済はもとより、さまざまな出来事をくまなく伝えて欲しいと思っている。だが、それらは限られた紙面では、無理な注文であるに違いない。
しかし、今日の「余録」の石丸さんのような、地道な国際貢献をしている日本人は少なくない事と思われる。私の我が儘が許されるなら、そうした人々の話題を、もっともっと取り上げて貰いたいものである。
(平成二十七年五月六日)
ramtha / 2015年7月31日