先頃、新聞の広告欄で「十三億分の一の男 ~中国皇帝をめぐる人類最大の権力闘争~」と題する本を見つけた。
著者は峯村健司(朝日新聞国際報道部機動特派員)とあり、本の帯広告によると、中国共産党幹部の動静を追って北京、上海、ロサンゼルス、ボストンなど各地で取材をしているようである。興味を惹かれて購入した。
一党独裁のベールに覆われた中国の内情は、我々日本の庶民にはなかなか分かり難いことが多い。
この本を一読して、今まで全く知らなかったことの数々に出会った。その中で中国共産党や国営企業など幹部の腐敗の一部を転記する。これを見ただけで、習近平が徹底した汚職摘発に乗り出した経緯が理解できる。
① 中国政府は人口抑制のため一九七九年から一人っ子政策を実施している。しかし急速に少子高齢化が進んだため.最近になって農村出身者や、一人っ子同士のカップルには第二子を認めるなど緩和されつつある。その中でも軍人と公務員は例外で認められていない。
にも拘わらず共産党幹部や富裕層の中には、第二子を妊娠した妻や愛人を、アメリカに渡航させ出産させるケースが少なからずあるという。
アメリカの国籍は出生地主義だから、アメリカで出産した子供はアメリカ国籍となる。 「中国旅行ビザ」を取得すれば、中国に戻ることもできる。二年に一度ビザ更新のために米国に戻りさえすれば国籍を持ったまま中国で暮らすこともできる。満二十一歳になれば、家族や親族を米国に呼び寄せて移民申請もできる。
こうした手口でアメリカで出産した中国人女性は二〇一三年確認されただけでも二万人を超えるという。
② 「裸官」とは、賄賂などの不正収入を得て、妻子や資産を海外に移す党や政府、国有企業の幹部を言う。幹部本人だけが一人で中国内に残ることから名付けられた。
裸官の実態は把握し難いが、中国社会科学院の調査によると二〇〇八年までの十年間、海外へ逃亡した政府や国有企業の幹部は一万六千人から一万八千人に上り、中国から流出した資産は八千億元(十四兆四千万円)に達すると言う。
③ ロサンゼルスなどには出産のため渡航してきた中国人夫人ばかりが住む高級住宅地がある。中には中国から来た若い女性が百五十万ドル(一億八千万円)もする豪邸に住んでいる。
ほとんどは中国のお偉いさんの愛人で、旦那が不正に取得した資産の名義人となっているとの事である。
④ 対中国政策に関わったことのある米国元国務省当局者は「中国の政府や共産党の幹部の金が流れ込めば、米国の経済成長に貢献するだけでなく、幹部たちの資産状況や家族構成も把握しやすくなる。中国軍の強硬派は、核ミサイルでロサンゼルスを火の海にできると豪語するが、これだけ自分たちの家族や資産を抱えていてはできないのでは」と指摘する。
⑤ 二〇一五年三月、ロサンゼルスの中国人高級住宅街に、米国当局の大規模な捜査が入った。米当局は今後、ビザの不正取得やマネーロンダリングの実態解明を進めるという。それでも太平洋越えてくる中国人の波は止まりそうもない。
米国で出産した中国の現役軍人の夫は「軍人は入隊した時から、米国は『仮想敵国』と叩きこまれ、今でも憎い気持ちは忘れていない。でも、とどまるところを知らない中国の汚職や不平等な教育制度、大気汚染、食の安全などを考えると、可愛い子供を米国で育てたいという気持ちを抑えられないのが、親心というものだろう。どんなに取り締まられても、米国という楽園を目指す流れは止まらないだろう」と言う。
⑥ 二〇一二年十一月の第十八回共産党大会で、党最高指導者の総書記に就任した習近平は、「トラもハエも叩く」と言う刺激的スローガンを掲げ、汚職摘発に乗り出した。
昨日まで権力や金をほしいままにしていた高官たちが、一夜にして罪人の汚名を着せられ厳しい追及を受ける。仕えていた上司が失脚すれば「連座制」が適用され、芋づる式に部下も処分される。
そんな彼らがすがる安息の地が、安全保障や経済で睨み合う最大のライバル、米国である。ロサンゼルスで高級物件を買い漁る「裸官」にとって、最も頼りにできる保険なのだ。争うように米国の永住権や国籍を求め、 一年間で中規模国の国家予算に相当する富が流出している。
⑦ 中国では共産党や政府の役人に限らず、その子供たちも勉学のために太平洋を渡っている。米国の大学は紅い貴族の子女たちで溢れている。
習近平の一人娘もその一人である。もっとも彼女は両親の反対を押しきってハーバード大学に留学したという。
以上本書の冒頭部分に記されている中国首脳部の腐敗ぶりの記事の一部を、私なりの興味で抜粋した。これを転記しながら私の感じた事をいくつか取り上げてみることにする。
1)鄧小平の改革開放政策により、中国は目覚ましい経済発展を遂げ、日本を抜いて世界第二の経済大国になった。と同時に国内の経済格差が拡大し、一部富裕層が巨大な富を築いているとは聞いていたが、これほどまでとは全く知らなかった。
2)中国三千年の歴史は、時の権力者の恣意によって国政が運営される人治国家で、法治国家としての経験が乏しい事は承知していたが、その結果、今日の汚職の蔓延する社会を出現したものではと思われる。
それにしても軍隊内の階級昇進にも賄賂が使われていると聞いては、呆れるばかりである。こんな軍隊が実戦に際してどれ程の士気を発揮できるのだろうかと、よそ事ながら考えさせられる。
3)家族や資産を海外にあらかじめ分散し、不時に備える事は、自分の不正行為が摘発されそうな時に備えてと言うことであろうが、不正行為に対する処罰が明確でないことも、その一因ではないかと思われる。
ことに海外渡航する資金も持たず、上司の失脚により連帯責任を問われる部下など、一日として気が休まることも無いのではと思われる。
4)習近平が就任早々に汚職撲滅に乗り出したのは、競争相手の失脚を狙ってのことであったのだろうが、これだけの汚職を前にしては、その撲滅を手始めにした事は適切な施策であったと言うべきであろう。
5)しかし汚職摘発の作業の大半は、担当部署の役人がすることになる。膨大な事件の一つ一つを習近平自身が決裁することは物理的にも不可能なことで、大半は下僚が代行することになるはずである。
そうなると摘発決裁に下僚の思いが入る機会があることになる。時には汚職摘発を大義名分に私怨の報復や冤罪の捏造などが行われる恐れがある。
こう考えてくると、習近平の表看板である汚職撲滅も容易なことではないと思われる。何しろ十三億の人口だから十万人に一人の悪代官がいるとしても一万三千人の不法を見張らなければならないことになる。汚職撲滅も少なからぬ副作用の発生を覚悟しなければならないのではなかろうか。
6)習近平が今日の独裁的力を持つまでには、薄熙来、徐才厚、周永康など多くのライバルを倒し、かつ最近まで最大実力者として君臨していた江沢民を排除するには、大変な暗闘が繰り広げられたことであろうし、その支持者たちの恨みは今なお習近平に向けられているに違いない。
そこで習近平は身辺警備にこれまで使っていた周永康の武装警察隊員の代わりに、徐才厚との関係が最も薄い空軍の空挺部隊の精鋭を用いた。また安全を確保するためできるだけ軍用機に乗り地下道を使って移動するなどしているという。
しかし、これほどの警戒をしていても、いつまで身の安全が確保されるか誰にもわからない。
古今東西を問わず、独裁者の生活は孤独で緊張の日々である事は変わりないようである。
ramtha / 2015年10月1日