筋筋膜性疼痛症候群・トリガーポイント施術 ラムサグループ

「ヒストリーとゲシヒテ」

横浜の次男から、佐藤優(元外務省主任分析家)著の 「世界史の極意」が送られてきた。

旧制中学と旧制高校で、西洋史・東洋史の授業は受講したが、その後は不勉強のまますっかり忘れてしまった。

この機会に改めて学習するつもりで繙いてみたが、かつて学校で習った歴史上の出来事を年代順に並べる、いわゆる編年体の記述では無い、新しいタイプの歴史書で、老骨の私には教えられること、興味をそそられることが数々あった。その内の幾つかを書き留めておくことにする。

① 日本・ロシアの教科書に見る「第一次世界大戦の原因」について、日本の『詳説 世界史』では「イギリスとドイツの覇権争い」が第一次世界大戦の大きな原因と指摘されています。ただしイギリスとドイツのどちらかに原因があるという形では書かれていません。

第二次世界大戦の場合、ナチスドイツの侵略という明確な原因があることを考えると、第一次世界大戦はやはり遠因を特定しづらいのです。

ここで比較対象としてロシアの中学・高校生向けの歴史教科書を参照してみましょう。
ここでは原因の多くはドイツ・オーストラリア・ブロックにあるとはっきり断定しています。ロシアは三国同盟(ドイツ、オーストラリア、イタリア)と対立する三国協商(ロシア、フランス、イギリス)の一員であり、大戦ではドイツに敗北を重ねていました。

そのため、ロシア革命で成立したソビエト政権は、ドイツに対して単独講和を結んだのです。この記述から、ロシアに正当性があるというスタンスが明確にうかがえます。

日本の教科書が価値観をほとんど出さず、必要な要素を漏らさないような記述になっているのに対して、ロシアの教科書はロシアの立場を正当化する価値観が強く出ています。

② 二十世紀の大きな課題は、ドイツという大国をどのように世界に糾合(きゅうごう)するかということでした。しかし私の見立てでは、EUができてもドイツの糾合には失敗しています。なぜなら、ユーロ危機以降、経済的にはドイツだけが一人勝ちし、それ以外のヨーロッパ諸国とは利益相反になっているからです。その意味でも「戦争の時代」である二十世紀はまだ終わっていないのです。

③ イギリスの経済学者ジョン・アトキンソン・ホブソン(1858~1940)の「帝国主義論」では、一定の条件で戦争は回避できると書かれています。

そのシナリオは、帝国主義間の勢力均衡を目指すというものでした。例えばアングロ・サクソン連合、汎ゲルマン連合、汎スラブ連合、汎ラテン連合などの広域化した帝国主義国家連合を形成して、世界規模で勢力均衡をとるというアイデアです。

④ この発想を現下の新・帝国主義に適用することはできるでしょうか。
具体的には現在の世界がヨーロッパ連合、スラブ連合、アメリカ大陸連合、中東連合、アジア連合のような形で分割され、勢力均衡主義が作れるかということです。そういった動きが顕在化している事は確かです。

事実EUとは「広域帝国主義連合」ですが、経済的な優劣から見た場合、その本質はドイツ帝国主義です。プーチンはユーラシア同盟を本気で構想しています。
但し、その一方で、アメリカの覇権的地位が低下しているとは言え、その軍事力は圧倒的です。アメリカが全世界の警察となり国際秩序の安定を導くというのは幻想だとしても、アメリカが世界最強の軍事力を持つ国家であることを過小評価してはいけません。

⑤ アメリカ以外のすべての国で軍事同盟を作って、ワシントンに侵攻しようと思っても、アメリカに上陸することすらできないでしょう。
しかしそのアメリカですら、アフガニスタン、イラク、中東アジアの小さな国でさえ制圧することはできないことの現実を踏まえたところに、現在の新・帝国主義が置かれている状況があるわけです。

⑥ グローバル経済では、企業も金融も巨大化していきますから、組織も人も少数の勝者だけしか豊かになれません。

アベノミクスによる円安株高の恩恵を受けられるのは、巨大な輸出企業と金融資産を持っている富裕層に限られるのと同じです。

そうなると、労働者階級の再生産もできなくなる。つまり貧乏人は結婚も出産もできない。貧困の連鎖が続き、中産階級が育たないので国力も低下する。

私が今最も懸念しているのは、現在の日本が、明治維新以降初めて教育の右肩下がり時代に突入してしまったことです。例えば日本を含め二十五カ国が加盟しているOECD(経済協力開発機構)の2013年の統計では、日本の教育関連費は加盟国中最下位でした。その理由は明白で、教育システムに新自由主義が組み込まれてしまったからです。

⑦ 失われた二十年でデフレから脱却できない中、学費だけは上がり続けました。そのため今の親世代は自分が受けた教育を、子供に与えることが難しくなっています。質の面でも効率性を求めすぎるあまり、巨視的に物事を捉える教養はほとんど身につかずに、高等教育を終えることになります。

⑧ 十九世紀末から戦間期にかけて、金融資本主義が引き起こした貧困や社会不安に対して、大きく三つの処方箋が提出されました。

一つ目は外部から収奪する帝国主義です。イギリスが植民地主義の拡大に踏み切ったのは、不況に見舞われ国内には貧困問題や社会不安を抱え込んでいたからです。イギリス帝国主義は、外部を収奪することによって、国内問題を払拭できると考えていたわけです

二つ目は共産主義という処方箋です。社会主義革命を起こし、資本主義システムを打倒することで、社会問題を一挙に解決する。むろんこの処方箋が失敗に終わった事は歴史が証明済みです。

三つ目はファシズムです。ファシズムとナチズムが全く異なるものであることに注意して下さい。ナチズムは、アーリア人種の優越性というデタラメな人種神話で作られた運動です。
それに対して1920年代(大正末期~昭和初期)にイタリアのムッソリーニが展開したファシズムは、共産主義革命を否定すると同時に、自由主義的資本主義がもたらした失業、貧困、格差などの社会問題を、国家が社会に介入することによって解決することを提唱しました。国家が積極的に雇用を確保し、所得の再分配をする。ファシズムは人々を動員することで、みんなで分けるパイを増やしていく運動です。

これら三つの処方箋の内、共産主義革命には現実性がありませんから日本の選択は帝国主義とファシズムを織り交ぜて「品格ある帝国主義」を志向しなければならないということになるでしょう。

⑨ 歴史にはドイツ語でゲシヒテ(Geschichte )とヒストリー(Historie)という二つの概念があります。ヒストリーは年代順に出来事を客観的に記述する編年体のこと。対してゲシヒテは歴史上の出来事の連鎖には必ず意味があるというスタンスで記述がなされます。
例えば歴史とは啓蒙によって高みへ発展していくプロセスであると言う視点で記述されるのです。
ロシアの歴史教科書は、ソビエト崩壊後の国家統合の危機を克服するために、確固としたロシアの物語を打ち出すゲシヒテなのです。

⑩ イギリスの十一歳から十四歳までの中等教育を受ける生徒向けの歴史教科書は「帝国の衝撃」と言うタイトルがついていますが、扱われているのは、アメリカの植民地から植民地経営を断念する「帝国の終焉」までの時代であり、イギリスによる帝国経営に焦点を絞った構成になっています。この教科書は徹頭徹尾、イギリス帝国主義の「失敗研究」という点に重心が置かれています。

旧・帝国主義による植民地支配は、世界中に災厄をもたらし、憎しみを残した。なぜイギリスは誤ってしまったのか。一見「自虐史観」のようですが、そうではありません。

イギリスも、現在の国際社会が帝国主義のゲームの渦中にあり、否応なくそこに巻き込まれていることを認識しています。しかし、かつてのように植民地主義による英国主義モデルは失敗することも強烈に自覚している。だからその失敗の歴史を通じて、新・帝国主義の時代のイギリスのあり方を構想することを教えようとしているわけです。

⑪ 日本の教科書は、価値観をほとんど出さず、必要な要素を漏らさないように記述する、ヒストリーになっており、ゲシヒテではありません。そしてこのことが、現在の日本人の歴史認識に於いて諸刃の剣となっています。

戦後の平和教育は、東西冷戦の枠組みで行われました。そのため冷戦終結とともにその有効性は失われてしまった。そもそもこの段階で、単なるヒストリーを超えた歴史教育の新たな方向性を模索するべきでした。

しかし知識人はその作業を怠りました。その結果今や貧困かつ粗雑な歴史観が跋扈し、それがヘイトスピーチや極端な自国至上史観として現れています。

以上、私の気づいた部分について抜粋転記したが、この作業しながら感じた事を整理してみる。

1)私たちが学校で受講したことは、編年体のヒストリーであって歴史を今日の視点で評価するゲシヒテではなかった。たとえば豊臣秀吉の朝鮮征伐が、いかなる目的で行われたのか、相手国である朝鮮民族にどれほどの被害を与え、その後今日に至るまでの日韓関係にどのような影響を残したかなどについて学習することはなかった。日清・日露戦争についても同様で、その後の軍部の勢力拡大、ひいては先の大戦へ突入した功罪について考えるようなこともなかった。

2)そうした歴史についての無反省な態度は、今日の学校教育でも引き続き存在しているようである。
門外漢の私にはわからないことだが、今日の学校教育は、左右いずれにしろ偏向教育と批判されることを恐れ、ひたすら無味乾燥な歴史教育をしているのではなかろうか。
もしそうだとしたら聴講する生徒は、長時間退屈な教室に拘束され、体罰を強いられているようなものではないか。

3)安倍総理の積極的平和主義も学校教育で取り上げられることも無いに違いないと思われるが、自国の若者に無視されているようでは、世界の支持を期待することもできないのではないか。

(平成二十七年五月二十日)

ramtha / 2015年10月1日