先日はネパールの子どものために学校を建てている石丸雄次郎さんの話題を記したが、今朝の毎日新聞の「余録」で「カンボジアの復興支援をする日本人」の話を見つけた。忘れように転記する。
人生には転機につながる出会いがある。京都で手書き友禅の職人をしていた森本喜久男さん(66)にとっては、バンコクの国立博物館で見たカンボジア伝統のクメール織の絹絣(きぬがすり)がそれだった。赤を基調に唐草風の模様を織り込んだ布が醸し出す質感とエネルギーに魅了された。
この頃カンボジアは激しい内戦の最中だった。森本さんは難民支援の活動に参加することを思い立ち、カンボジア国境に近いタイ東北部の村で手織物を通じて貧しい人々の生活を支えるプロジェクトに取り組んだ
内戦終結後の1994年、初めて国境を越えてカンボジアに入った。ポル・ポト派による大虐殺と戦闘で国内は荒廃し、クメール織の伝統は消滅しかけていた。各地を訪ね歩き、翌年、技法を受け継いでいるおばあさんに巡り会った。
復興を目指して工房を開設。荒れ地に桑を植えて蚕を育て、染料を取る樹木や草を植えた。試行錯誤の末、クメール織の技術が再生し、工房は約200人が住む村に発展した。森本さんはその歩みを著書「カンボジアに村を作った日本人」にまとめた。
繭(まゆ)からは手で糸を引く。生糸に人の呼吸が入り織物にぬくもりが残る。良い色を出すには良い土が必要だ。自然素材で染めた色は時間と共に変化し味わいを深めていく。織物は自然の豊かさそのものだ。
日本にも忘れられかけている大切なものがある。自然と共に生きてきた農山村のおじいちゃんおばあさんたちの暮らしの知恵だ。代々伝わる生活の技を見直し、再生していくことが本物の豊かさにつながる。異国の地で伝統をよみがえらせた職人はそう感じている。
顧みれば、私は日本社会のお世話になるばかりで、何一つ貢献することなく人生の終わりを迎えようとしている。誠に恥ずかしい限りである。にも拘わらず、石丸雄次郎さんや森本喜久男さんのような奇特な方々のおかげで、世界に誇るべき日本民族の一人として冥土の門をくぐることができるのは、ひたすら感謝するばかりである。
(平成二十七年五月二十四日)
ramtha / 2015年11月16日