先日来ギリシャの財政破綻が連日マスコミを賑わせている。ギリシャといえば、古代文明の栄えた国で、オリンピック発祥の地である事は心得ているが、それ以外の知識は持ち合わせていない。
広辞苑には、ギリシャについて、次のように説明している。
ヨーロッパ南東部、バルカン半島の南端と付近の諸島からなる共和国。紀元前九~八世紀にアテナイ、スパルタなど多くの都市国家が成立、前五世紀にそれらが同盟してペルシャ戦争を乗り切り、アテナイを中心に黄金時代を実現した。
前四世紀にマケドニアに併合され、次いでローマ帝国の支配下に置かれ十五世紀にはオスマン帝国に征服されたが、一八二九年独立の王国となった。第一次大戦後一時共和国(一九二四~三五年)、第二次大戦後四六年王政復古、六七年軍部独裁、七四年王政が完全に廃止され共和制に復帰。
古代ギリシャの生んだ哲学、科学、文学、美術はヨーロッパ文化の重要な源泉の一つ。
面積十三万二千平方キロメートル。人口百六万二千。首都アテネ。
今日の毎日新聞には客員編輯委員の西川恵氏の「ギリシャびいきのツケ」と題する次のような一文が掲載されている。不勉強な私には教えられることばかりである。後日のために全文転記する。
現在二八カ国を数える欧州連合(EU)。六カ国でスタートしたこの欧州統合組織が最も沸き立ったのが、まだ名称が欧州共同体(EC)だった1981年、10番目の加盟国としてギリシャを迎えた時だった。
あの時の加盟国の気持ちを表現するならば「我々の文明のルーツであるギリシャがやっと我々の懐に戻ってきた」というものであった。この前年、ギリシャのEC加盟承認を求める英国議会の議論で、キャリントン外相は「今日の欧州の政治、文化は、すべて3000年のギリシャの遺産のおかげである。加盟承認はギリシャへの恩返しとなる」と述べた。欧州文明の源流を作った古代ギリシャだが、ながらく東方世界(オリエント)にあった。西ローマ帝国が崩壊した4世紀末からは東ローマ帝国のビザンチン文化圏に、15世紀から19世紀初頭まではオスマントルコ支配下と、約14世紀にわたって西方世界(西欧)から隔絶していた。 19世紀までギリシャ人は「欧州への旅に出る」との言い方で、欧州を別の世界と捉えていた。
欧州で古代ギリシャ文明の崇拝熱が燃え上がるのは、古典古代に理想美を見出す新古典主義が文化の主潮流となった19世紀初め。以後欧州では同国を西方世界に組み込む努力が続けられてきた。
第二次大戦後、バルカン半島の国々が共産圏に組み込まれた中で、ギリシャだけが免れたのにも理由がある。大戦末期、チャーチル英首相はソ連のスターリンとのサシの会談で、ルーマニアに対するソ連の覇権を認める代わり、英国がギリシャに影響力を払うことを認めさせた。その理由をチャーチルは著書「第二次世界大戦」で「ギリシャは西方世界の権力、法、自由の精神中枢である」と述べている。
こうした経緯を知れば、ギリシャのEC加盟がいかに歴史的出来事だったかが分かる。しかし同国への熱い思い入れは、実態以上に同国を優遇することにもなった。
その好例が2001年にユーロ導入がすんなり認められたことだ。イタリアのユーロ導入(99年)にはEUから厳しい注文がつき、財政規律欠如の懸念がドイツから再三表明されたことと比べて対照的だった。
アテネ五輪(04年)も財政的に開ける状況にあったのか疑わしい。いまそのツケをEU自身払わされている。
5日のギリシャの国民投票は予断を許さないが、同国とEUのここ数カ月の交渉からは同国を普通の国として扱おうという EUの姿勢が伝わってくる。
これを見てまず感じた事は、ギリシャの財政破綻もさることながら先進国の中で最大の赤字を抱えているといわれる日本の財政状況である。
かつて、2021年のオリンピック開催地が東京に決まったとき、不況の最中に国を挙げて祝賀ムードに包まれている光景に、違和感を感じたことが思い出された。
先日のオリンピック開催費用が当初の見込みを大きく上回り、東京都に一部負担をという話を耳にし、私の気がかりは杞憂ではなかったことを確認したが、今更辞退できるものでもない。日本としては、石に囓りついてもなんとかやり遂げる他は無い。
財政問題については、今まで何度も「聖域なき改革を」と言われながら、何の成果も得られていない。
ギリシャの金融危機は対岸の火事と眺めていられるが、日本の財政健全化は、まだ表立って取り上げられてはいないが、もはや待ったなしの状況にある。
かと言って、選挙第一の政治家や省益優先の官僚に任せていては、事態が変わる事は期待できない。
ここは民間の企業経営者に代わってもらい、冗費削減の大鉈(なた)を振って頂くしかないと考える。
かつて中曽根元総理は、昭和五六年第二次臨時行政調査会発足にあたり、その会長に元東芝社長で経団連会長の土光敏夫氏の就任を懇請し、国鉄、専売公社、電電公社の民営化など、大々的な行政改革を実現した。
土光氏は財界のトップでありながら、その生活は極めて質素で、その収入の大半は、社会奉仕に当てておられたと聞いている。当時奥様と二人差し向かいで、鰯と沢庵だけのおかずで食事をされておられる光景が、テレビで放映されていた。
それほど清廉潔白な土光さんを前にしては、当時の国鉄労組を始め、労働組合の幹部も冗費節約と組織の効率化に従わざるを得なかった。思えば土光さんには、大半の国民の賛同と支持があったが、それが大きな世論となり、あれだけの難事業を達成させたことであった。
しかし、安倍総理の性格では、民間人に頭を下げてお願いするようなことができるかどうか。また、土光さんのような国民の尊敬する財界人がおられるかどうか、私にはわからないが、同様な改革を断行し得る人物もいて、明るい未来を切り開いて下さることを願っている。
(平成二十七年七月四日)
ramtha / 2015年12月23日