中国の習近平主席が登場して以来、とりわけ中国の経済発展と対外進出が目覚ましいように感じるが、一方では中国経済は曲がり角にさしかかり、国内にはいくつもの難題を抱えているようだという説も耳にしている。
中国共産党の言論統制のベールに包まれた中国の実態は、私ごとき老骨には、まことに分かりづらい。そこで新聞広告で目に付いた長谷川慶太郎氏著の「中国大減速の末路」を読んでみた。
その冒頭にある「急遽実現した日中首脳会談の真相」で、まず日常の新聞などで得た自分の知識は、事の皮相に過ぎず、真相は別にあることを知らされた。そこでその部分を転記する。
本年(2015年)4月22日、インドネシアの首都ジャカルタにおいて、日中首脳会談が行われた。昨年11月、北京で行われた初の会議では、中国の習近平国家主席の仏頂面が大変な話題となり、両国間の溝が浮き彫りになった格好であったが、今回の会談では、両首脳とも笑顔で握手をし「相互の信頼醸成につとめる」といった前向きなコメントが出るなど関係修復の糸口が見えた会談となった。
一回目の会談以降、わずか五ヶ月の間に起きたこの変化をどう見るべきであろうか。日本の一部報道では、今回の首脳会談は日本側から会談を強く望んで実現したもの、と報じられている。また、中国の王毅外相も「会談が日本側から熱望された」と言う趣旨のコメントを発表しているが、これは完全な誤りである。今回の会談は、中国側から強い申し出があり、日本側がこれに応じた結果、急遽実現したものである。
では中国側が日本との会談を強く望んだ理由は何か。昨年秋の笑顔なき会談から、一転、友好的雰囲気の会談へと態度を豹変させた理由はどこにあるのか。
今回中国側が会談を望んだ直接的理由は、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に対して、日本に参加して欲しいと要請するためだ。そして、より大きな理由として、中国経済の失速がもはや誰の目からも明白になり、日本に救いの手を求めてきたという事情があった。
これに先立つ形で習近平は、今後中国経済の進むべき道として、従来型の「成長重視の経済」から「質を伴う経済」への転換、いわゆる「新状態」(ニューノーマル)を打ち出していた。中国が「量から質の経済」へ転換するためには、日本の技術支援が不可欠であり、また、現在の中国が最優先で取り組むべき公害対策、環境問題についても日本の技術なくしては解決できないことを、習近平はじめ共産党幹部は認めざるを得ない状況へと、中国経済は追い詰められているのである。
これら国際社会の常識になっている事実が、なぜか日本では報じられる機会が少ない。AIIBについても、中国経済の隆盛、国際社会における存在感を象徴する出来事のように報じられ、当初はこれに参加しなかった日本政府の対応に疑問の声を投げかけるかのような報道ばかりが目についた。
AIIBには、イギリスやドイツ、フランスなどの主要国が加わり、さらには韓国やオーストラリアといった日米と歩調を合わせると思われた国々も加わった。最終的な参加国は、五十数カ国に達し、順調な立ち上がりを切ったかのように見えただろう。しかしこれもまた事実では無い。実はその逆で、中国が大々的に打ち上げたAIIBは、国際金融の世界の現実に直面し、非常に苦しい状況に追い込まれているのだ。
米国や日本が参加せず中国が主導する「銀行」では、その信用格付けには不安がつきまとう。中国は、いまだ世界銀行や、日米が主導するアジア開発銀行(ADB)から融資を受けており、また日本からは最近まで政府開発援助(ODA)を受け取っていた国家である。この点が基軸通貨国である米国や世界最大の純債権国である日本とは大きく異なるのだ。
このことが、金融実務の世界における日米と中国の信用度の差となる。具体的には、日米が主導するアジア開発銀行(ADB)は最高格付けを有しているが、AIIBはそこまでの格付けを得る事はできないだろう。ADBの最高格付けは日本や米国の信用があってのものである。
AIIBが中国主導であるという事は、その格付けは、中国と同程度のものにとどまる可能性が大きい。 中国の格付けは日本やアメリカよりも低い「シングルA」だ。したがって、AIIBの格付けも最高格付けより二段階下の格付にとどまることになるだろう。
日本やアメリカが参加しないのは、AIIBにとって致命的な痛手である事は間違いない。仮に格付けが低くなれば、資金調達が必要になった際の調達コストが高くなる。そうなれば、当然貸出金利が高くなる。という事は日米が主導するアジア開発銀行(ADB)との競争において、決定的な不利な状態に置かれることを意味することになる。
このような金融実務の世界における厳しい現実について、中国側はその事実を知り、何とか日本に加わってほしいと懇願せざるを得なくなったのだ。その結果が、急遽、安倍首相との首脳会談を要請するに至ったのだ。
これを見て、マスコミは情報蒐収の専門家であり、こうした問題についても、その真相を先刻承知しているはずである。にもかかわらず、われわれ読者にはなぜ伝えて貰えないのか分からない。まさか中国に遠慮しているわけではあるまいし、日本政府の報道統制があるとも考えられない。
この本を見ると、まだまだ私の知らないことが書かれているようである。それを、また追いかけてみることにしよう。
(平成二十七年七月八日)
ramtha / 2015年12月26日