先頃、中国天津市で大爆発事故があり、110人を超える死者が出るなど大きな被害があった。この事件に関して今月18日の毎日新聞「余録」には、次のような一文があった。ちょっと面白かったので転記する。
流言の公式である。流言の強さや流量は、噂の内容の重大さとその論拠の曖昧さの積(せき)に比例するという。米心理学者らが考えたこの公式によれば、証拠に基づく正確な情報を流して曖昧さを除去すれば流言はなくなる。
「雨は猛毒、濡れれば病気になる」「科学物質が空気中に充満している」などと言う流言が飛び交った中国天津の大爆発事故であった。発生から一週間、死者が110人を超え、大量の有毒物質の飛散が懸念されている惨事が市民にとって重大事でないわけがない。
事故直後から中国当局は、デマで社会不安を煽ったと五十のウェブサイトを閉鎖、報道メディアへの規制も行ってきた。だが報道の統制はむしろ情報不足の市民の不安を募らせ、流言の温床を作っただけではなかったか。情報統制のパラドックス(逆説)である。
爆発の拡大の原因としては、水と反応する化学物質に放水した消防当局の情報不足や指揮能力の問題が取り沙汰されている。住宅から一キロ圏内の危険物貯蔵は法令違反のはずで、住民が市当局に激しく抗議する騒ぎも起こった。背景に汚職疑惑を指摘する声もある。
およそ世界第二の経済大国ならば、公正で十分な調査を行い、その情報を公開して再発防止を図るべき事態である。情報統制は市民の安全など眼中にない成長至上主義からの自己改革を阻むだけだ。経済成長の歪みの是正はどの先進産業社会も歩んできた道である。
先の公式によれば、市民が重大関心を寄せる問題につき信頼できる情報が入手できねばデマや流言は常態化する。まさかそれが中国の「新常態」ではあるまい。
権力者は自らの権力を維持するために、自分に不都合な事は隠したがるものであるが、隠せば隠すほど国民は知りたがるものである事は、洋の東西、体制の如何にかかわらない。
民主化されたと言う戦後の日本でも、日米密約など、しばしば政府による情報隠蔽が行われ、そのために国民の反発を招いた事は少なくない。
俗に「隠すより現る」と言われるように、隠そうとすると、その言動が不自然になり、人々の目を惹くこととなる。
共産党独裁の中国では、現在の体制維持のために、どうしても情報統制が必要以上に多くなる。それは独裁体制の宿命であり、同時にその弱点でもあると言うことだろう。
(平成二十七年八月二十一日)
ramtha / 2016年1月23日