今日の毎日新聞に論説員・中村秀明氏の「魚を食べ続けるなら」と題する一文が載っていた。日頃考えてもみなかったことなど、教えられることが多かったので、忘れぬよう全文を転記する。
国連食料農業機関は、世界の水産物市場に出回る食用魚のうち、養殖ものが昨年初めて天然ものを上回ったと推計している。2000年の養殖比率が約25%だったから飛躍的な伸びだ。
国内ではブリやマグロにとどまらずサバ養殖も始まった。世界的にはナイル川原産のティラピア(いずみだい)をはじめ、ナマズ、サケなどが主な魚種だ。
そんな中、危機的な予測が発表された。「世界の水産資源は50年までに6割減る」「魚の分布が変わり、今取れているところで取れなくなる」と言うのだ。
日本財団が、米プリンストン大学等七大学・研究機関の海洋科学者らと調査研究したネレウスプログラム・リポート「海の未来を予測する」の結論である。人口増加によって魚がどんどん食べられて減るうえ、地球温暖化に伴う海水温の上昇で生息域が変わるためだ。今は熱帯から温帯にかけて、たくさんいる魚が、南極や北極に向かって移動し、数も減少する。
この共同研究を統括する海洋人類学者の太田義孝さんは、身近な例としてマグロ供給の落ち込みを調べた。それによると、「現在、国内で食べられている年間総量のうち約2000万人分が減る」との結果になった。
となると、ますます養殖が心強く思える。だが、同席したカナダのブリティッシュ・コロンビア大学のダニエル・ポーリー教授は首を振った。「例えば、マグロの養殖には餌として10~20倍のサバやイワシが必要になる。飢えに苦しむ世界の貧困層の食料確保から見て問題だ」と言う。得られる量と投入する量を比べ、養殖は非効率な魚を資源の利用法なのだ。日本ではクロマグロの完全養殖にわき、「次はウナギだ」と言う声もある。「天然資源に頼らず、種の保護にもつながる」と強調され、水産業の革命と言う受け止め方もある。
ある種に限ればそう言えても、結局自然から必要以上に多くを奪うことにならないだろうか。
しかも、飢えをしのぐのではなく、特定の食の楽しみ、我慢できなくもない欲望を満たすためである。ビジネスとして注目できても、食の偏在、飢餓と飽食の格差を広げる心配は拭えない。
温暖化を防ぎ、魚資源の国際的な管理を強め、持続可能な水産物流通の仕組みを消費者も参加して築く・・・太田さんらの研究は地道な取り組みを訴えて締めくくられている。
これを読んで教えられ、考えさせられたことを整理してみる。
① 今まで、養殖魚資源を人工的に増やすこととのみ思っていたが、それは誤りで、一匹の養殖魚を手に入れるためには十倍、二十倍の魚を餌にしなければならないことなど考えてもみなかった。
② 近年、地球温暖化が騒がれている事は承知していたが、それによって魚の生息場所が変わったり、減ったりすることも知らなかった。
③ 私は兼ねて煮魚や焼き魚の食べ方が下手で、骨の外に小骨のついた身まで食べ残しては、家内に叱られている。魚の食べ方の上手下手は、どうも生まれつきのもののようで、努力してもなかなか上手になるものでは無いようである。私が最も楽に食べられる魚は、擂り身(すりみ)または缶詰の魚である。あれなら、皮はもとより骨まで食べられるので、魚資源の有効利用としては一番良いのではないかと思うが、どうだろう。
もっとも缶詰にするには、缶に使用する金属資源を消費することにはなるが、これは廃品回収して再利用すればさほどの事はないと思われる。
いずれにしても、海に囲まれた日本人は魚の有効利用に工夫をしなければなるまい。
(平成二十七年八月二十六日)
ramtha / 2016年1月24日