昨日の毎日新聞の「余録」には明治初期来日した中国詩人の記録の一部が紹介されている。珍しいものに出会ったので、後日のため書きとどめる。
明治初めに来日した清の宮人で、詩人として名高い黄遵憲(コウジュンケン)は、九州の農村でこう詠んだ。
「あぜ道伝いにやってくると、夕日が赤く染めたところに、麦の苗が真っ青に見えた。民家の傍にじゃがいもがあったので、これを買おうと思い、代金をやろうとしても受け取らない。民風素朴で、まるで桃源郷に行ったようである。」
日本では街でもいさかいの声がしない。落としものは必ず落とし主を探して返す。人に家の留守を任せても何も盗まれない。黄遵憲は、そんな例を挙げ、感嘆した。「誠に素晴らしいではないか」(日本雑事詩)
さて昨日の国慶節から始まった中国の大型連休で日本にやってきた観光客は、何に驚き、何に感心するだろう。デパートや家電量販店は、あの手この手のアイデアを繰り出して爆買いを待ち受けた。最近はドラッグストアでの生活用品の大量購入も目立っている。
景気減速の暗雲がかかる中国経済だが、小売り業界では昨年の国慶節の連休より三~四割増のお客を期待するところもある。むろん買い物は大歓迎だが、そこは黄遵憲も「山水の景色はまことに良いところがある」と称賛した日本の風光の美も、見落として欲しくない。
なかにはお店の混雑や、一部の客のマナーに眉をひそめる方もあられよう。だが、少々の摩擦も、中国の普通の人々に、直接日本を知ってもらうことには代えられない。「素晴らしいことではないか」。そう感じてくれる人を、一人でも増やしたい。
中国詩人・黄遵憲が見た日本は、約150年も前の日本で、今では、日本中探して回っても見ることのできない風景であろう。
昭和30年代、麻生産業(株)で社員人事を担当し、新規採用者の身元調査のため鹿児島県大隅の片田舎へ行ったことがある。
あれは確か9月初旬のことだった。そこでは早場米の取り入れが行われていたが、予想以上に鄙びた所で、農家の庭先ではお伽噺の兎の餅つきに登場する杵で、脱穀している風景が見られた。
そんな農家の集落にあるたった一軒の雑貨屋を見つけ、店番のお婆ちゃんに道を尋ねる。私の質問は通じたようだが、一生懸命親切に説明してくれるお婆ちゃんの鹿児島弁は私にはさっぱりわからない。戦時中志布志周辺で一年ばかり過ごしたことがあるので、大隅弁は多少聞き取れる私だが、お婆ちゃんの薩摩弁は全くのちんぷんかんぷんである。若い人にでも聞き直すより仕方がない。
早々にお礼を言って店を出たが、お婆ちゃんは私が理解できないまま出ていくのを不審な面持ちで見ている。
店を出てしばらく行くと向こうから学校帰りの子供が来ている。子供に聞けばわかるだろうと思ったが、後ろを振り返ってみると、先程のお婆ちゃんは、出入り口に立って心配げに私の方を見ているではないか。私は子供たちに道を聞きそびれてしまった。
尋ねる家は何とか見つけ目的を退出達することができたが、あの頃までは、黄遵憲が見た日本が残っていた。
あのお婆ちゃんはもうこの世にはいないことだろうが、あの時の子供たちも、あの部落には今ではいないのかも知れない。
日本はすっかり変わってしまった。老骨はただため息をつくばかりである。
(平成二十七年十月三日)
ramtha / 2016年2月10日