筋筋膜性疼痛症候群・トリガーポイント施術 ラムサグループ

「自己主張を蔑む日本人」

先日、大塚武久さんから便りを頂いた。その中で、ヘンリー・S・ストークス著の「英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄」を詳しく紹介されていた。興味をそそられるままに早速購読した。

著者は在日五十年、「フィナンシャル・タイムズ」「ロンドン・タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」の各東京支局長を歴任した英国人記者と言うことであるが、戦後敗戦国の国民として、米軍の占領統治によって、過去の価値観が全て否定され、民主主義を始めとするアメリカ文化によって精神的自己否定を余儀なくされてきた私は、考えさせられることが少なからずあった。
著者の意図するところは何か。まずは「まえがき」を転記することにする。

私が「フィナンシャル・タイムズ」東京支局の初代支局長として、初めて日本の地を踏んだのは、1964年(昭和39)、ちょうど東京オリンピックが開催された年だった。以来、日本にとどまる事50年、今では外国特派員協会でも最古参だ。

イギリスで生まれ育った私は、幼少の頃から日本人は野蛮で残酷な民族であると、散々聞かされていた。ちょうど当時の日本人が「鬼畜米英」と聞かされていたのと同じだ。戦後になっても、日本のおかげでアジアの植民地を全て失ったイギリスの、日本に対する増悪の感情は消えるばかりか、強まるばかりだった。そんな環境の中で、私の中にも、日本を憎む気持ちが、ごく自然に醸成されていた。

したがって、来日当初は東京裁判が裁いた「日本=犯罪国家論」「南京大虐殺」についても事実であると単純に信じていて、何ら疑っていなかった。

だが日本に滞在する間に、連合国の視点でもなく、日本からの視点でもない第三者的視点で、20世紀の日本とアジアの歴史を俯瞰した時、そうした見方が大きな誤りであることに気づいた。三島由紀夫と親交を得たことも大きかった。

大東亜戦争は、日本の自衛のための戦いだった。それは戦後マッカーサーがアメリカに戻って議会で証言した「マッカーサー証言」によっても明らかだ。東京裁判は裁判の名にも値しない、無法の復讐劇だった。

「南京大虐殺」にしても、信用できる証言は何一つとしてなく、そればかりか中国が外国人記者や企業人を使って、世界に発信した謀略宣伝であることが明らかになっている。「慰安婦問題」については、論ずるにも値しない。

だが、これまで日本人が日本の立場から、これらに抗議し正していく動きはほとんど見られないか、見られてもごくわずかだった。今国際社会で「南京大虐殺はなかった」と言えば、もうその人は相手にされない。ナチスのガス室を否定する人と同列に扱われることになる。残念ながら、これは厳粛なる事実だ。だから慎重であらねばならない。だが、日本が日本の立場で、世界に向けて訴え続けて行かなければ、これは歴史的事実として確定してしまう。日本はこれまでこうした努力が異状に少なかった。

日本は相手の都合を慮(おもんばか)ったり、阿諛追従(あゆついしょう)する必要は無い。アメリカはアメリカの立場で、中国は中国の立場で、日本は日本の立場でものを言う。当然それらは食い違う。だがそれはそれでいいのだ。世界とはそういうものである。日本だけが物分かりの良い顔をしていたら、たちまち付け込まれてしまう。

もう一つ私が声を大にして言いたいのは、「南京」にせよ「靖国参拝問題」にせよ「慰安婦問題」にせよ、現在懸案になっている問題のほとんどは日本人の側から中国や韓国に嗾(けしか)けて問題にしてもらったのが事実ということだ。この問題をどうするか、これは日本人が自分で考えなければならない。

日本人は、いまだに連合国がでっち上げた「戦勝国」史観の呪いから抜け出していない。本書が、その束縛から逃れる一助となれば幸いである。

まずはこの本を紹介していただいた大塚さんに感謝するとともに、これを読んで、私が考えたことなどを整理してみる。

① 著者は「大東亜戦争は自衛のための戦いであった」と弁護してくれている。しかし、満州事変に始まる日中戦争は明らかに侵略戦争であり、自衛のためとは言い難いものと私は考えている。
日本の近代史を顧みると、わが国は、徳川幕府の鎖国政策により、世界的にも珍しい二五〇年に及ぶ平和を享受することができた。しかし、その間に急速に発展した欧米の技術文明からは、取り残される結果を招いた。

一八五三年(嘉永六年)アメリカ軍艦四隻を率いてペリーが来航した時、その対応に苦慮し、諸大名に意見を聴取した。これが幕閣の無力を露呈し、その権威を大きく失墜することとなった。

当時欧米諸国は、いわゆる帝国主義時代で、インド、中国を始め、アジア諸国を侵略し、植民地とする動きが活発に行われていた。それがわが国に及ぶことが憂慮され、外国の侵略を防ぐには、皇室を中心とした挙国一致体制を確立すべしとする議論が行われるようになってきた。

しかし、一方では従来の幕藩体制を維持すべきとする説もあり、国論は尊皇、佐幕に二分し対立抗争を重ねる事態となった。

その後なお、様々な事件など紆余曲折はあったものの、一八六八年(明治元年)、天皇を中心とする明治新政府が発足し、それまであった士農工商という身分制度がなくなり廃藩置県が行われ、新しい社会秩序が実現した。いわゆる明治維新である。

とはいうものの、西欧先進国並みの近代化をするためには、国を挙げて富国強兵の涙ぐましい努力をしなければならなかった。さしあたっては不凍港を求めて南下してくるロシアの脅威から自らを守らねばならない。

わが国は、同じ脅威にさらされている韓国、中国の奮起を促すが、両国にその意思がなく、これが原因となって、一八九四~五年(明治二七~八)、日清戦争が行われ、一九〇四~五年(明治三七~八)、日露戦争となった。

この両戦役の勝利によって日本は世界の列強の末尾に名を連ねることとなったが、日清・日露とも、国運かけた自衛のための戦いであった。

東洋の小国日本が大国ロシアに勝利したことが、世界の日本に対する評価を格上げすることになった。しかしそれが日本国民、とりわけ日本陸軍の増長を招くこととなったと考えられる。

一九二八年(昭和三年)、満州駐留の関東軍河本参謀らによる中国奉天派軍閥の張作霖爆殺や、一九三一年(昭和六年)、関東軍参謀石原莞爾中佐らの謀略による柳条湖事件で満州事変をひき起こし、本国政府の不拡大方針を無視し戦争を拡大して行った関東軍の独断専行は、自衛のためとは言い難く、その戦果を讃え国民を戦争を支持に導いた当時のマスコミの罪も見過ごしてはならない。

著者H・S・ストークスがこの点に触れていないのは、欧米諸国の帝国主義行動と同列視しているからであろう。

② 『もう一つ私が声を大にして言いたいのは「南京」にせよ「靖国参拝問題」にせよ「慰安婦問題」にせよ、現在懸案となっている問題のほとんどは、日本人の側から中国や韓国を嗾けて、問題にしてもらったのが事実だということだ。この問題をどうするか、それは日本人が自分で考えなければならない』とする著者の見解は、重大な問題提起である。

『日本人の側から中国や韓国を嗾けて』ということが事実であり、私は「続折々の思い(十一)」八月十三日の(ナリチュウ記事)で「日本を貶めることに血道を上げる人々」と題する八木秀次氏の論説を紹介した。

そこでは朝日新聞を始めとするマスメディアと左翼政党が主犯に挙げられている。また彼らがこのような行動をとる原因は、彼らは上からの目線で権力を監視することを自らの使命とする思い上がった意識にあると言うことと、権力を批判したいが為事実をねじ曲げることにあるとも記しておいた。

③ 『この問題をどうするか、それは日本人が自分で考えなければならない』とする著者の提言は、日本人にとって極めて重要かつ困難な課題である。老骨の私には、これといった思案はないが、まずは、学者や民間の心ある有識者が折に触れて発言を繰り返し、国民を啓蒙すると共に、同志の組織的かつ永続的活動が必要ではないかと考えられる。

④ 『日本が日本の立場で、世界に向けて訴え続けて行かなければ、これは歴史的事実として確定してしまう。日本はこれまでこうした努力が、異状に少なかった』という著者の指摘はまさにその通りであると思う。

滞日五十年で、日本人女性と結婚されたと言う著者の事だから、それが日本人の美意識に由来するものと気づいておられるのではと、私は推測しているがどうだろう。隠居して約三十年にもなる私には、今の日本社会がどのような事になっているか分からないが、少なくとも私が現役であった頃までは、日本社会では自己主張することは、はしたないことと蔑まれていたものである。「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」「能ある鷹は爪を隠す」などと言う諺は、小学生以来幾度も聞かされてきた。他人の善行や有能を褒めることがあっても、自分を売り出す自己顕示や自己主張することは、恥ずべき事とされたものである。

著者が『アメリカはアメリカの立場で、中国は中国の立場で、日本は日本の立場でものを言う。当然それは食い違う。だがそれでいいのだ。世界はそういうものである。日本だけが物分かりの良い顔をしていたら、たちまち付け込まれてしまう』と述べているが、世界の現実は正にその通りで、日本人だけが異質と言うことだろう。

⑤ こうした自己主張を嫌う習性は、未知の人との接触を苦手とするようにならざるを得ない。日本の外交下手は周知のところで、先日も「南京大虐殺」が中国の申請で、当時国日本への調査も諮問もされずに世界遺産に登録されるという事件があった。日本政府は事後慌てて馳大臣が異議申し立てに駆けつけたが、手遅れとなってしまった。これなどは、まさにその実例といえよう。
日本の外交下手は、日本語の特殊性と日本人の貧しい音感から来る語学能力の貧困もさることながら、この自己主張を否定する潜在的美意識が最大の要因ではないかと私は考えている。

⑥ 自己主張を嫌い謙譲を美徳とする日本人の意識はどうしてできたのだろう。要因はいろいろ挙げられるだろうが、その一つは四周海に囲まれた地理的条件にあるのではなかろうか。今日のような交通手段を持たなかった昔は、大陸から日本海や東シナ海を大挙して渡って来ることはまず不可能な事で、ごく少数の家族が渡航して来るにすぎず、上陸後は、先住民の風習を受け入れ同化しなければ生きていくことが難しかったのではあるまいか。

第二に狭い平地での農耕と沿海漁業で生活していくには、他人との妥協と共同が欠かせなかったことであったに違いない。そんな中で自己主張するものは、たちまち爪弾きされることになっただろう。古代の集落単位での生活では、部落民の許容と支援が必要で、そこから他人の心を忖度し、その場その場の雰囲気を推し量ることを身に付けるようになったのではあるまいか。敷島の大和の国は古来「言挙げせぬ国」と言われたとも耳にしている。

⑦ 今や世界規模での人の往来が激しくなり、よろずグローバル化が喧伝される今日、日本人も従来の美徳をかなぐり捨てて、世界の人々に堂々と自己主張できるよう意識転換をしなければならないのだろうか。
著者の語るように、自己主張のぶつかり合うのが世界の現実であることに間違いない。しかし議論のぶつかり合いで解決できない時は武力衝突となるのではないか。それでも世界の現実として受け入れなければならないのか。著者はその点には触れていない。

⑧ 日本は戦後七十年日米同盟に守られながら、他国と一度も銃火を交えることなく、世界史にもまれな平和な時代を過ごしてきた。当初は敗戦の結果として占領軍に押し付けられた戦争放棄であったが、七十年経った今日では、世界にも珍しい「非戦国家・平和日本」の貴重な国際的ブランドとなっている。これは今後とも失ってはならない日本の宝であると私は考えている。安倍総理の唱える「戦後レジームの脱却」は、平和憲法を改正し、軍備を備えた「普通の国家」になることを目指しているものと思われる。つい先日の「武器輸出禁止三原則」の撤廃などは、そうした考えに基づくものだろう。しかし、「普通の国」になることが、日本の進むべき道であるか、ここは一度立ち止まって再考すべきことではあるまいか。

⑨ 前述したように、日本人は本来自己主張を苦手とし外交下手である。「普通の国」になって自己主張を得意とする世界各国と渡り合って平和裡に自己主張を通し得るとは考えられない。とすると、また戦争に巻き込まれる虞(おそれ)は無いかと気にかかる。

⑩ 安倍総理でなくても、日本国民の大半は、頭に傘を被せられたような鬱陶しい気分の「戦後レジーム」から脱却したい思いをしていると思われる。
ではどうすれば良いか。鬱陶しい気分の原因は何か。突き詰めれば、現在の日本は、日米安保条約に縛られており、真の独立国では無いという事ではないか。

先日の核防止国際会議の決議でも、日本は世界唯一の被爆国でありながら、アメリカへの配慮で棄権している。という事は、真に自由な独立をするためにはアメリカの傘下から抜け出さなければならないということになるが、現実にできるのか。
仮にそうした行動をしたら、日本を巡る国際情勢はどういうことになのだろう。
日本のように豊かで、科学、技術でも、国民の知的水準でも高いレベルを持つ国は、世界各国の垂涎の的であるに違いない。とすれば、アメリカが再度日本を占領統治することになるか、日本獲得をめぐって紛争が始まることになるのではなかろうか。

しかし、そのいずれも、大半の国民の忌避するところで、日本の将来を描くシナリオにはなり得ない。

⑪ 私の思いは堂々巡りをするばかりである。考えてみれば、自己主張を蔑むという日本独特の美意識を維持しながら、自己主張をして鬩(せめ)ぎ合う国際社会に生きていこうとする矛盾を両立しようとすることにある。
もはや江戸時代の鎖国に戻れないグローバル化の世の中である。日本固有の美意識を捨てて自己主張の渦巻く国際社会に日本も自国の存在を誇示するのが現実的な対応であるに違いない。

⑫ しかし、私はこの世界に平和をもたらし全人類を幸せに導くのは、自己主張を抑制することに尽きると信じている。だから、どのような困難があろうとも、何百年、何千年かかろうとも、その信念を諦めず守り抜き、全人類に流布することを我々日本人の使命とすべきものと思われてならない。そんな夢物語は誰も耳を傾けてくれないと人々は一笑に付すことだろうが、人類が今日シリアやイスラム国で繰り広げ揺られているような悲惨な争いの中で、永遠に苦しみ続けるとは、あまりにも悲しいことではないか。

(平成二十七年十一月七日)

ramtha / 2016年2月21日