去年の新聞を片づけて居たら、「機械無償譲渡に感謝」という見出しの記事があった。何事ならんと読んでみた。
殺伐な記事の多い昨今、ちよっといい話題だから、書きとめることとする。
仙台市若林区の建築会社「ウッドスタイル」の菅原正幸社長(四三)と妻洋美子さん(四二)が、礼を述べるため大分市の「坂の市木工」の三重野芳光社長(六六)を訪ねた。「機械を譲ってもらったお陰で、いち早くお客さんの力になれた。本当に助かりました」と頭を下げる菅原社長に、三重野社長は「喜んでもらえて本当にうれしい」と応じた。
震災当時、海岸から約三kmのウッドスタイル社には約一.二mの津波が到達。家族は無事だったが、製材用などの機械が海水をかぶって使えなくなった。
一方、被災地支援を検討していた大分県などが平成二三年五月、東北各県の商工会議所などに問い合わせたところ建築業者などの機械が足りない実情が判明。照会を受けた三重野社長は「使ってない機械が倉庫にありゃせんか」。確認すると一台あった。四、五年使っていなかっ
たが愛着もあって保存していたといい「資産価値はほとんどないが、役にたつなら」と考えた。しかし、混乱が続く被災地までの輸送手段が見つからず、話は頓挫しかけた。そこに手を挙げたのが普段から東北へ荷物を運んでいた大分市の「一番運送」の藤田憲靖社長(四六)だった。震災の日、宮城県石巻市にいた社員二人が山で一夜を明かし、苦労して帰ってきたといい「震災は人ごとじゃなかった」。機械は同年六月六日、トラックで出発し、九日に到着した。
この日、菅原社長夫妻は一番運輸で「道路事情の悪い中、運んでいただいて感動した。今年三月に事務所の復興が終わり、更なる復興に頑張っています」と伝えた。藤田社長は「たまたま長距離の経験とトラックがあっただけ。これからも東北の酒や米を食べるなど、陰ながら応援します」と話した。
この事例をきかけに、日本商工会議所は平成二三年九月、全国で使われなくなった機械を被災企業に贈るプロジェクトを開始。今年九月末までに三一〇七件を数える。大分商工会議所の川村繁志さん(六〇)は、「全国の遊休機械がデーターベース化され、どこかで災害が起きてもすぐに支援できる」と話している。
日頃現場で作業をし、被災した人でなければ、痛感しないことだろうが、庶民の日常生活の中には、こうしたことが沢山隠れているのではないだろうか。
日本が豊かになってからは、必要と思えばすぐ購入し、少し使用しただけで押入や倉庫に眠っているものは、われわれ庶民の家庭でも少なくない。都会では時折フリーマーケットと称して不用品の処分市が行なわれているようだが、資源の有効利用が叫ばれる今日、もっと頻繁に行なわれてはと思われる。しかし、然るべき会場を見つけ、世話役を要することで、老骨が頭の中で考えるようにはいかないことかも知れない。
ramtha / 2016年5月15日