昨夜の天気予報で、この冬一番の寒気が南下して来ると伝えられて居たが、果たして今朝起きてみると、飯塚では滅多に無い吹雪で震え上がった。ストーブにかじりついて新聞を広げる。その中で「亡命ウイグル人を取材して」と題する横浜支局福永方人記者のレポートを書とめることとする。
気さくで温厚そうな若者たちの過激な言葉に衝撃を受けた。先月中旬、トルコで、中国ウイグル自治区から逃れてきた亡命ウイグル人に話を聞いて回った。東南アジアを陸路縦断した命懸けの密航、中国との武装闘争を見据えたシリアでの戦闘訓練・・・。長時間のインタビューを通して彼らの悲壮な覚悟に接し、新彊で「抑圧」されるウイグル族の深刻な実情がうかがえた。そしてテロをも辞さないほどに反中感情が先鋭化しつつあると実感した。
中国が提唱するアジアから欧州に至る経済圏構想「一帯一路」の最大の課題はテロ対策だ。一帯一路の起点の一つ、新彊ではウイグル族の分離・独立運動がくすぶる。
民族的にも宗教的にも近い沿線のイスラム教国に波及すれば一帯一路が『テロの道』になる恐れがあるからだ。
私は在日ウイグル人らをたどって八人の仲介者と計四週間交渉。同じトルコ系民族のウイグル人を難民として受け入れているトルコへ渡り、最大都市イスタンブールと中部カイセリで二〇~五〇代の亡命ウイグル人男性一五人にインタビューした。彼らのほとんどは偽名で暮らして居た。亡命者の身元が中国当局に伝わると、新彊に残る家族や親族が危険な目に遭う恐れがあるからだという。写真を撮る際も「顔は写さないで」と念押しされ、撮影画像の確認を求められた。
中国の影におびえながら語ってくれた密航の過程は壮絶だった。新彊からイスタンブールまで、逆方向の東南アジアを経由して地球半周に相当する二万km近い道のり。アブドラと名乗る男性(二〇)は「真夏に幼い子を抱いて八時間歩き続け、山を三つ越えた。夜には幅三〇~四〇m程の川を膝までつかりながら渡ったこともあった」と国境越えの様子を明かした。アブドゥラザクと名乗る男性(三五)は「タイでトラックの荷台に乗せられて検問所を強引に突破し、兵士に銃撃された」という。証言からは、密航ブローカーの国際的ネットワークの存在も浮き彫りになった。
内線が続くシリアのウイグル系武装組織「トルキスタンーイスラム党」で戦闘経験を積んだ二人から話を聞くことができた。ダーウットと名乗る男性(三八)は「新彊では当局の監視が厳しくて兵器の使い方を学べなかったが、ほしかった知識がようやく手に入った」と言い、不敵な笑みを浮かべた。他にも四人の若者が「独立武装闘争に備えてシリアヘ行きたい」と話した。
インタビューでは毎回、新彊での厳しい宗教政策や漢族優遇による経済格差への不満を聞かされ、「中国政府による少数民族の差別と弾圧の実体を世界に伝えてほしい」と懇願された。不当に逮捕されて手の爪をはぎ取られるなどの拷問を受けたと、傷痕を見せながら訴える人もいた。借金までして密航費用を用意し、命からがらトルコまで逃げてた事情を考えれば、誇張とは言い切れないと私は感じた。
米国務省が昨年六月に発表した人権報告書も新彊について「言論、宗教、結社、集会の自由が当局によって厳しく抑圧されている」などと指摘している。
「平和とは何か」と、逆に質問されたこともあった。
「戦争がないこと、でしょうか」と答えると、「戦わなければ信仰や文化が守れないとしても『平和』を望むのか」と返された。深い悲しみと怒りをたたえた瞳に見つめられ、それ以上の言葉を継ぐことができなかった。亡命ウイグル人の一部は、過激派組織「イスラム国」(IS)の戦闘員になっているとも言われる。だが、話を聞いた人の多くは、イスラム教徒も処刑していることや殺害方法の残酷さを理由にISを批判した。中国は、十一月のパリ同時多発テロ以降、国際社会に「中国もテロの被害者だ」と主張し、ウイグル族に対する「反テロ作戦」への協力をトルコなどに求めている。
だが、パリなどでテロを繰り返すISと、中国の宗教政策など複雑な背景を抱えるウイグルの分離・独立運動をひとくくりにするのは乱暴だと思う。
その一方で、「命を懸けて戦い、故郷から漢族を追い払う」と豪語する亡命ウイグル人たちの姿に、新たなテロリストが生まれてしまう可能性が垣間見えた。それほど彼らは追い込まれている。反中テロのリスクは今後、世界の新たな脅威になりかねない。中国を含む国際社会は、一帯一路を『平和の道』にするためにも、ウイグル社会の声にもっと耳を傾けるべきだろう。
これを読んで考えさせられたことを整理してみる。
昨年(平成二七年)世界の耳目を集めた最大の事件はなんと言っても残虐非道なイスラム国(IS)の出現だろう。しかし、どうしてこんなことが起こったのか、その原因ははっきりしない。不勉強な私はIS活躍の舞台である中東や北アフリカにどんな国があり、それぞれがどのような歴史を背負っているかなど、まったく知らない。ほんの少しでもと思うが、しかるべき入門書如きものも持ち合わせていない。
仕方がないので、手元の広辞苑を広げて、とりあえず中東、アラビア、北アフリカに点在する二〇数力国について調べてみた。まずは、ここで知り得たことを整理してみる。
①イラン・トルコ・サウジアラビアなど一部例外はあるが、その他大部分の国は一七世紀から二〇世紀半ばにかけては、英仏などヨーロッパ諸国の支配下にあり、二〇世紀半ばから後半にかけて独立してる。
②住民は大半がアラブ人で、スンニ派・シーア派など派閥の違いはあるもののイスラム教徒のようである。
私にはよくは分からないが、広辞苑に記されているところにによれば、イスラム教はユダヤ教・キリスト教と同系の一神教で、唯一神アッラーから預言者ムハンマドが受けた啓示を書き記した聖典コーランに定められた倫理・生活規範を厳格に守ることに、その特質がある宗教のようである。
③欧米諸国では政教分離で、宗教が政治に介入することはないが、イスラム教の国々では、イランの大統領ホメイニ師のように、聖職者が政治の実権を握り、コーランをはじめとする宗教の原理によ。て政治的判断がなされることが少なくないようである。
こんな説明を見るかぎり、イスラムの世界で生活するのはいかにも堅苦しく息も詰まるように思われるがどうなんだろう。
④中東から北アフリカにかけて散在するイスラム諸国はアフガニスタン、アルジェリア、クウェート、チュニジア、モロッコなど、ほとんどの国が、かつては英仏など西欧諸国の植民地となり、その搾取に苦しんだ歴史を背負っている。その一部を並べてみる。
国名 体制 旧宗主国 独立年
アフガニスタン イスラム共和国 英保護領 一九一九
アルジェリア 民主人民共和国 フランス 一九六二
アラブ首長国葬 連邦国家 英保護領 一九七一
イエメン 民主人民共和国 英国・オランダ 一九一八
イラク 共和国 英委任統治 一九五八
オマーン 首長国 英国の影響下 一九七〇
クウェート 立憲君主国 英保護領 一九六一
チごIジア 共和国 仏保護領 一九五六
ナイジェリア 連邦共和国 英国 一九六〇
パキスタン イスラム共和国 英領インド 一九四七
モロッコ 王国 フランス 一九五六
ヨルダン 王国 英委任統治 一九二三
リビア 共和国 イタリア 一九五一
⑤これを見ると、イスラム諸国が英仏伊などのヨーロッパ先進国の支配から脱却し独立し得たのは前世紀に入っててからのことに過ぎないことが分かる。ことに大半は第二次大戦終戦の一九四五年以降であることが目に付く。
どうしてだろう。愚考するに、第二次大戦で旧宗主国が疲弊しイスラム諸国の独立運動を抑圧する力も意欲も減退していたのではなかろうか。また、相対的に独立運動も活発化していたことと思われる。
⑥支配下にあった国々が、雨後の筍の如く独立している。第二次大戦といえば、敗れはしたが、日本がアジア、大平洋で戦った大東亜戦争の結果、左記のように欧米のこれもまたイスラム諸国の独立心を大いに刺激したに違いない。
国 名 体 制 旧宗主国 独立年
インド 共和国 イギリス 一九四七
インドネシア 共和国 オランダ 一九四九
カンボジア 王国 仏保護領 一九五三
シンガポール 共和国 (英・マレーシア)一九六五
バングラデシュ 人民共和国 パキスタン 一九七一
フィリピン 共和国 アメリカ 一九四六
ベトナム 社会主義共和国 フランス 一九七六
マラヤ連邦 イギリス 一九五七
マレーシア 立憲君主制 (英・マラヤ連邦)一九六三
ミャンマー 連邦国家 イギリス 一九四八
ラオス 人民民主共和国 フランス 一九四五
考えてみると、長年白人の支配下に搾取され続けて来たこれらの国々を解放し、彼らを勇気づけ独立させたのは、白人国家と対等に戦いその力を見せつけた日本であると言えよう。このことは、いまさら外に向かって誇示することではないが、われわれ日本人は心密かに誇りとしてよいことと私は信じている。
⑦ それにしても、イラクの存在するチグリス・ユーフラテス流域は古代文明の発祥の地であり、エジプトは紀元前二七〇〇年ともいわれる大昔に、現存するだけでも八〇基以上もあるあの巨大なピラミッドを建設した文明国家であった。にもかわらず、そうした国々が、当時は未開の野蛮な地域に過ぎなかったヨーロッパ諸国に今日では遅れをとることとなってしまったのはなぜだろう。
その原因は度重なる紛争や疫病の流行など、さまざまな要因が複雑に絡み合っての結果なのだろうが、私はその大きな要因の一つにイスラム教があったのではと考えている。
ヨーロッパ諸国もかつてはカトリック教会の権威に縛られた中世の暗黒時代があったが、一六世紀のルターの宗教改革にはじまる政教分離が進み、一八五九年ダーウィンが進化論を発表するようにまでなった。
これに対してイスラム教の世界では、預言者ムハンマドが七世紀初め唯一神アッラーから受けた啓示をまとめた聖典コーランを基本に、個人の内面的生活から社会や国家のあり方まで、人間生活のすべての規律を定められている。これでは、千年以上も昔決められた基準に従って、現代社会を生きて行くには、人類文化の発達を止めなくてはならなくなる。イスラム文明停滞の原因はまさにここにあるのではあるまいか。私にはそう思われてならない。
⑧ところで、今日では世界の先進国の一つとして、科学技術をはじめあらゆる分野において先頭を行く国と認められている日本ではあるが、三千年ばかり昔は、縄文時代後期で、まだ採取狩猟の生活をしていたと聞いている。また、大陸から稲作農耕が渡来したのも二千年ばかり昔のことに過ぎない。そんな日本が今日の繁栄を手に入れることが出来たのはどうしてだろう。日本人は勤勉だからと言う人もあれば、もともと新しいものにすぐ飛びつく好奇心が強いからだと言う説もある。これまた、いろいろな要因があってのことだろうが、私はそれらの中から二つの要因を取り上げたい。
⑨その一つは、周囲海に囲まれた島国であるという地理的条件である。西は日本海と東支那海、東は太平洋という大海原によって外敵の侵略から守られた日本は、陸続きの大陸諸国に比べれぼ長年平和に恵まれ、文明の蓄積が苦労無く出来たことにある。そのことは江戸時代末期の日本は武士のための藩校と庶民のための寺子屋が日本全国に無数にあり、全国民の識字率の高さには渡来した外国人が一様に驚いたごとでも立証されている。
⑩二つ目は、日本人の宗教に対する寛容性というか、極言すれば宗教に対ずる無関心にあるのではなかろうか。日本伝統の宗教といえば神道ということになる。マンション住まいの家庭ではどうなっているか私は知らないが、多くの家庭には神棚があり、毎朝柏手を打って家内安全の拝礼をする人は今も少なくないことだろうが、ことさらそのご利益を期待しているとは思われない。
無宗教の私は宗教について云々する資格はないが、敢えて言わせてもらえば、大半の日本人の宗教心はその程度のことではないか。この宗教に拘束されない精神が外来の新知識に群がる好奇心と相俟って、今日の科学技術などの発展をもたらした大きなな要因と考えているが、どうだろう。諸賢のご批判を仰ぎたいと思っている。
ramtha / 2016年5月16日