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三月十七日 「人類の進化 ~猿人・原人・旧人・新人~」

新聞広告につられて、国立科学博物館人類史研究グループ長・海部陽介氏の「日本人はどこから来たのか?」を読んでみた。知らないことばかりで、教えられたことが多く、衰えた私の頭脳ではとても記憶しきれそうにない。そこで特に目についたものの幾つかを書き留めることにする。

1) かつて私たちホモ・サピエンス以外にもいくつもの種類の人類がいた。北京原人やジャワ原人、より人間に近いネアンデルタール人らの旧人。これら滅びてしまった人類のことをまず、整理しておく必要がある。

(注)ホモ・サピエンス=Homo sapiens=知性人・叡智人の意。現生人類の学名(広辞苑)

人類は誕生から約7百万年の歴史を持つが、その進化は大きく五つの段階(あるいはグレード)に分けて理解することができる。
「初期の猿人」「猿人」「原人」「旧人」「新人」がその五つだ。

最も古い「初期の猿人」は、700万~400万年前のアフリカにいた半樹上・半地上性のグループである。その後、地上での活動を強めた「猿人」の段階があり、その猿人のうち、おそらく東アフリカにいた集団から、300万~200万年前に「原人」が進化した。

私たち現代人は直立二足歩行するだけでなく、脳が巨大で、顎と歯が小さいという特徴を持っている。そのため私たちの脳頭蓋は大きく丸く、顔面はサルのように前方に突き出ていない。こうした頭骨の特徴は、原人以降に現れてきた。つまり原人とは、こうした「人間らしい」頭骨形態が進化した初期段階のグループのことなのである。原人は脚が長くなって身長が高くなるなど、体格の上でも人間らしさを増していた。

2) 初歩的な石器は猿人の時代から存在したが、石器文化が真に発達し、人類が道具に依存するようになったのは、原人の時代になってからだ。それだけ知能が発達し、手の器用さが増していたのだろう。

3) 猿人の時代まで当初500万年間、人類はアフリカにしかいなかったが、原人は185万年前頃に人類史上はじめてアジアの土を踏み、やがて中国やインドネシアにまで広がった。教科書にも出てくる北京原人やジャワ原人(学名はホモーエレクトス)とは、そうしてアジアに広がったグループの子孫である。これらに加えて、あらたにインドネシアのフローレス島で見つかったフローレス原人(ホモ・フロレシエンス)や台湾の原人(澎湖人)が発見され、近年、アジアの原人集団が予想外に多様であったことがわかってきた。

4) 原人の次に登場したのが旧人である。彼らは、上述の「人間らしい」頭骨形態を原人からさらに進化させたが、私たち現生人類と比べるとまだ原始的な特徴が残っていた。詳しいことはまだわかっていないが、旧人の故郷もどうやらアフリカであった可能性が高い。旧人にもいくつかの集団あるいは種がおり、その中で最もよく知られているのがヨーロッパのネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)である。そのほか、アフリカやインドや中国でも旧人段階の人類の化石が発見されているが、これらには※※人という集団名はつけられておらず、学名も定まっていない。また面白いことに、約5万年以上前のアジアでは、旧人と原人が共存していたことがわかっている。例えばインドや中国に旧人が出現した後も、インドネシアにはジャワ原人やフローレス原人が存続していた。

5) 旧人がさらに進化していよいよ登場するのが新人、つまり私たち現生人類である。「現代人」でなくあえて「現生人類」と呼んでいることに注意してほしいが、これは過去にいた縄文人やクロマニョン人を含めるためである。現生人類を構成するのは1種の人類だけで、その学名がホモーサピエンスであることは、ご存知の方も多いだろう。「人種」という紛らわしい語もあってしばしば誤解されているが、世界の人々は皆、ホモ・サピエンスという1つの種に含められる。

6) これらの話から、以下のようなことが見えてくる。アジアには185万年前以降に原人が広がり、次いで30万年前頃(?)から旧人が出現したようだが、どの時期にも、そのどれかのグループがアジア全域を支配するということはなかった。

時期によって構成は変わるが、各所に異なる原人・旧人集団が分布する状況が続いていたのである。そこに、アフリカからやってきた私たちの祖先が登場した。それは5万~4万年前のことであった。

これを見て感じたことを列記してみる。

① 日本の歴史は約2000年といわれているが、人類の700万年に比べると、3500分の1に過ぎない。今日、日本人の寿命は世界中でも最も長い方だと言われているが、それでも女性で八六歳、男性で八十歳弱だ。

人類のこれまでの歩みに比べると、ほんの一瞬に過ぎない。たった一度与えられた人生が、これほど短いというのに、他人との争いに消費するなど馬鹿らしいかぎりではないか。にもかかわらず、近年世界各地のもめごとは増えるばかり。人間は何を学んできたのだろう。

「馬鹿につける薬はない」は、英語でも「There’s no cure for a fool」とあるようだから、洋の東西を問わず、人間誰しも心得て居るはずなのだが。

② この本によると、現在の人類の故郷はアフリカということらしいが、どうしてだろう。700万年前の地球の気候は今日とは違っていたかも知れないが、当時アフリカが地球上で最も水と食料とすべき動植物が多かったということだろうか。

③ しかし、最古の猿人・原人はも。ぱら採取狩猟に依存し、自ら食糧を栽培飼育する術を知らず、そのため周辺の食糧を取り尽くしたとき、世界中に食糧となる動植物を追い求めて拡散して行き、東に行く手を阻む太平洋が広がる日本列島は、その最終地点の一つであったに違いない。

ramtha / 2016年5月22日