筋筋膜性疼痛症候群・トリガーポイント施術 ラムサグループ

三、家具・生活用具など(② 洗濯用具)

② 洗濯用具

私は中学生の時、毎日、板櫃川の川岸沿いに通学していたが、その途中に朝鮮人の聚落があった。そこの女性が河原の石を砧(きぬた)にし、その上に水洗いした布を広げ、足で踏んだり、木の棒で叩いて居る姿をしばしば見かけたことがあった。

ところで。万葉集の巻十四に、次のような詠人(よみびと)知らずの歌がある。

多摩川に 曝(さら)す手作り さらさらに
何(なに)ぞこの児の ここだ愛(かな)しき

(意訳)多摩川に曝す手作りの布のように、さらにさらに、どうして、この乙女がこんなにひどく可愛いのだろう。(木俣修著万葉集による)

(註)砧(きぬた)=布板(きぬいた)の略で布を打ちやわらげ、つやを出すのに用いる木または石の台。

なお、当時庶民は中央政府から.今日の税金に相当する租庸調納付の義務を課せられていたが、その一つとして、東国から麻布を献上していた。この麻布を調布と言い、これを水で曝していた多摩川沿いに、調布市・世田谷区砧・田園調布など、昔を偲ぶ地名が残っている。

(註)租庸調(ソヨウチョウ)卜‥唐の均田法下の税制。成人男子に対して課した現物税。租は粟二石。庸はもと年二十日間の力役が一日つき絹三尺に換算されたもの。調は土産の絹二丈と綿三両、または麻布二丈半と麻三斤。我国でも大化の改新に同様なものが制定された。

これらを見ると、昔から、川や池のほとりで洗濯をして来たことが窺われる。また、時代小説には、しばしば、江戸下町の長屋の女達が、井戸端に盥(たらい)を並べ、賑やかに井戸端談義をしながら洗濯をする情景が描かれている。

私たちも長年盥と洗濯板を使用して洗濯をしてきた。しゃがんで、ごしごし衣類を揉み洗いしていたので、ずいぷんと腰が痛くなり、途中で立ち上がっては、荒川静香選手ではないが、しばしばイナバウワーをしたものだ。

会社の独身寮で、同僚が遊びに出かけた後、日頃無精して溜まった汚れ物を洗濯するときほど、妻帯者が羨ましく感じられたことはなかった。

(註)洗濯板(センタクいた)=衣類などの洗濯に用いる刻み目のある木の板。この刻み目に衣類を擦り付けて汚れを落とす。

余談だが、宮崎県青島海岸に「鬼の洗濯板」と呼ばれる景勝地がある。長年にわたる波の運動により海底の岩盤が削られ、洗濯板と同様な刻み目が出来たものが、海底の隆起によって水面上に姿を表わした珍しい光景である。

電気洗濯機が世に出たのは、昭和二十年代のことだったと思うが、初めて見る洗濯機は、回転するドラムの中で洗濯物が上から下へ落下する方式のもので、さしたる効果は期待できないように思われ、手を出さなかった。

暫くして対流式の洗濯機が現れ、我が家でも使うことにした。しかし、まだ脱水機能は無く、上部の縁に取り付けてある二つのローラーの間に衣類を挟み、ハンドルを回して絞るというものであった。ハンカチや靴下などは良いのだが、少し厚手の物やタオルケットなどのような大きいものは、ローラーの間を通すには、ハンドルを余程力を入れて回さねばならず、またシャツのボタンが千切れるなどの難点があった。その後、遠心力による脱水法が取り入れられるなどの改良が重ねられて、今日のような便利な洗濯機となった。

先頃、家内が次男のところへ出かけた留守に、長男の家の洗濯機を借りて、珍しく洗濯をした。しかし全自動洗濯機とやらで、洗う衣類と洗剤を投げ込み運転開始のボタンを押す。終了のブザーが鳴れば、仕上がった洗濯物を取り出してハンガーに吊り下げるだけではないか。洗う動作が全く無くなっても、「洗濯をした」などと言えるのかと思ったことであった。

和服が広く使われていた昭和初期までは、普段着などは丸洗いもしていたが、季節の変わり目など衣更(ころもがえ)するときは、着物を解(ほど)いて洗い張りをし、布地の形を整えこわばらせるために糊付けをした。その時、布の皺(しわ)を伸ばすために、張り板または伸子(シンシ)張りを用いた。

(註)張り板=洗った布や漉(す)いた紙などを張って乾かすための板。

(註)伸子(シンシ)=洗い張りや染色のとき。布の両端に刺し留めて弓型に張り、縮まないようにする器具。

洗濯したものを乾かすため、今日では便利な電気乾燥器もあるが、昔はもっぱら日光と風を頼りにして物干し竿に吊り下げていた。しかし、梅雨時のような雨の日はやむなく、屋内の柱や欄間に紐を渡して、これに吊り下げたり、赤子のおしめなどは、炬燵櫓(こたつやぐら)の上に広げて乾かすなど苦労したことであった。

電気乾燥器まで使わなくても、今では室内やベランダなどの狭いスペースを有効に利用できる各種のハンガーがある。黄砂の飛来が頻繁になり、晴れた日でも洗濯物を外に干せない日がしばしばある昨今、こうしたハンガーは必需品だが、ほとんどがプラスチック製品で、日曝し雨曝しに弱く、壊れやすいのが欠点である。価格が安いのだからと言えばそれまでだが、大量生産・大量消費の申し子のような物で、資源の有効利用などと言わないまでも、今少し丈夫なハンガーにしてもらいたいものと、クリップ部分が破損する度に思うことである。

シャツやハンカチなどの皺を伸ばす道具としては、今日ではスチームアイロンや電気アイロンがあるが、アイロンが現れる以前は、鏝(こて)や火熨斗(ひのし)を使っていた。お袋がなま乾きの半襟を広げ、その前で火鉢の炭火の中に鏝を突っ込んで温めていた姿が思い出される。

(註)鏝(こて)=左官が壁塗りに使う鏝(こて)と同様に底が平たい三角形の金属に柄を取り付けたもので、これを炭火で熱くし、布の皺に押しつけて伸ばす器具。

(註)火熨斗(ひのし)=底のなめらかな金属の器具で、中に炭火を入れ、その熱気を利用し、底を布に押し当てて皺を伸ばすもの。

余談だが、今日のズボンにはプリーツ加工がされてあり、ズボンの折り目が消えることを心配することはないが、昔はズボンの折り目を付けるため、夜、敷き布団の下に敷く、いわゆる「寝敷き」をしていたものだ。これが案外難しく、不器用な私などがすると、往々にして、折り目が二本になったりしたものだ。そうでなくても、朝取り出してみたら、ズボンに畳の目の形が残るなど、なかなかうまくは行かないものであった。出張先の旅館で、夜具を敷くとき、仲居さんが、二枚の敷き布団の間に上手にズボンを入れて、綺麗に折り目をつけてくれているのを見て、感心したことがあった。

また、昭和四十年頃、ズボンに折り目を付けるズボン・プレッサーと言う電気製品が登場したが、プリーツ加工技術の普及に押されて、姿を消したようだ。

ramtha / 2016年5月26日