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六、衣類・履物・雨具など(① 大正末期の写真に見る服装)

今日、若い女性が和服を着るのは、主に成人式や大学の卒業式、若しくは友達の結婚披露宴に出席するときなどで、日常、和服姿を見かけることは稀である。

私が物心ついた昭和初期は、今とは逆に、学校の先生や看護婦さんなど、ごく少数の職業婦人以外の女性は、みんな和服で生活していた。男性も洋服を着るようになったのは、明治維新以後のことで、それまでは長年和服を身につけて暮らしてきたものである。だから着物と言えば和服のことで、今でも洋服は衣類ではあっても、着物ではない。

顧みれば、衣類についても、昭和の六十余年間で、ずいぶん変化してきている。だが、私自身は豊かな暮らしには無縁で、衣類についての知識が乏しく、ことに女性のファッションについては、無知にひとしい。

そんなことで、私にとってはとりわけ難儀なこととなるに違いないが、まことに貧しい経験から、なんとか記憶を搾り出し、衣類や履物・雨具などについて、その変遷を辿ってみることにする。

① 大正末期の写真に見る服装

小学校入学以前どんな衣類を着て暮らしていたか、鮮明な記憶はないが、大正十二年、父が勤めて居た八幡製鉄所の官舎の中庭で撮影した家族写真が、私の古いアルバムの中に残っている。当時のことだから、わが家に写真機などあるはずはなく、写真屋をよんで撮影したもので、家族全員が晴れ着を着てのことであったに違いない。

父の家族写真

それを見ると、父は着物姿で羽織を着、子供着によだれ掛けを付けた満一歳の私を抱いて、後列中央に立っている。当時父は製鉄所の技師として現場勤務をしていたようだから、日常は作業着姿で通勤し、セレモニーなどに参列するときは背広を着用していたのではないかと思われる。しかし家庭では和服の着流しで寛(くつろ)いでいたに違いない。この時は写真撮影のため、着物の上に羽織を羽織ったのだろう。下半身は前列の子供達の陰になり見えないが、袴は付けて居なかったことだろう。

白黒写真だからどんな色かは分からないが、母は縦縞模様の着物(生地は銘仙ではないかと思われるが)を着て椅子に腰掛けている。母の左脇にはお河童頭にリボンを付けた満四歳の次姉愛子が、和服にエプロンを掛け、木履(ポックリ)を履いて立っているので、その陰になり母の締めている帯の模様までは分からない。

また母の右には満六歳の兄義尚と満七歳の長姉須磨子が椅子に並んで腰掛けている。長姉はワンピースを着て長靴下に靴を履いている。頭にはリボンを飾り、髪は後ろで纏め長く右肩に垂らしている。
兄は絣(かすり)の着物に帯を締めているが、足元は暗く、何を履いているのかよく分からない。

これを見ると、我が家ではこの頃、着物から洋服の生活へさしかかる過渡期であったものと思われる。

(註)お河童頭(おかっぱあたま)三回髪を切り下げ後ろ髮を襟元で切りそろえた少女向きの断髪。

(註)木履(ぽっくり)=女児用の下駄。台の底を抉り、後側を円くし、前部を前のめりしたもの。多く黒または朱の漆を塗る。

アルバムの次のぺージには、大正十四年頃、八幡市荒生田の自宅の縁先で撮影した兄弟一同の写真がある。二人の姉と兄、それに私と妹ルツ子の五人である。中央に上の姉が縁側に腰掛け、膝の上に満一歳の妹を抱いている。兄と下の姉は縁先の庭に立ち、私はその後ろの屋内に立っている。季節は夏であったようで、みんな半袖の上着を着ている。兄は開襟シャツに半ズボン、後ろに立つ私は下半身は見えないが、兄と同様の開襟シャツを着ているところを見ると。やはり半ズボンを穿(は)いていたのだろう。姉達は古ぼけたこの写真では良く分からぬものの、二人とも白のワンピースを着ているようである。なお履物は、上の姉が鼻緒のある草履を履いている。他は、足元が写って居ないのでわからない。

昭和の風景 子どもの写真

同じアルバムの中に、上の姉が小学校の校舎の傍で撮影したものと思われる写真がある。季節は晩秋から冬にかけてのことだろう、緑のある帽子を被り白いボタンのついたセーターを着ている。下はプリーツスカートで、長靴下を穿いている。靴は靴紐があるようだが、革靴かどうか良く分からぬものの、どうもズックではないように見える。

なお、白く縁取りした布製のカバンを肩に掛けているところを見ると、まだランドセルの時代ではなかったのかも知れない。

昭和の風景 須磨子伯母

幼い時の記憶で定かではないが、姉や兄がランドセルを背負った姿は見たことが無いように思う。私自身は昭和四年に入学したが、ズックのランドセルを与えられている。それからすると、東京や大阪など大都市は別として、北九州のような地方の児童にと。ては、大正から昭和への変わり目が、風呂敷包みや提げカバンからランドセルヘの変わり目でもあったのではないかと思われる。

ramtha / 2016年5月5日