筋筋膜性疼痛症候群・トリガーポイント施術 ラムサグループ

六、衣類・履物・雨具など(③ 日曜学校の写真に見る)

③ 日曜学校の写真に見る

わが家では両親がクリスチャンであったので、荒生田に住んで居た頃は、私たち子供も毎週日曜日は八幡のバプテスト教会の日曜学校に行っていた。また小倉の西南女学院の教員住宅に住むようになってからは、学院の日曜学校に出席していた。

私のアルバムの中には、昭和三年に撮影された日曜学校の出席者の集合写真が、八十年の歳月を経てすっかり変色した姿で残っている。それを見ると、学院の校庭に茣蓙(ゴザ)を敷いて、最前列の子供は座り、二列目は長椅子に腰掛け、三列目からは立っている。最後列には学院のロウ院長夫人を中心に先生達の姿が見える。

昭和の風景 バプテスト教会

総員八十七名が一枚の写真に納まっているので、一人一人の姿は小さく、人数を数えるのも難儀なことであったが、ここに写っているみんなの服装について和洋別の人数を調べてみた。

男の子は二十名で、そのうち学童服など洋服を着ている者が十一名、着物姿が九名。女の子は総数五十九名中、4洋服を着用しているのは十七名、その他四十二名は着物となっている。

日曜学校の先生役は、ロウ院長夫人の他は、学院の上級生のようで、彼女らは全員学院の制服を着ている。

その当時、キリスト教会の日曜学校に子供を通わせる家庭は、格別裕福なと言うことではないにしても、まずまずの暮らし向きの家庭であったと思われるから、右の数字が、東京などの大都市は別として、地方都市における、当時の服装の一般的水準を示していると見て良いのではないかと思う。大雑把(おおざっぱ)に言えば、男の子は和洋半々、女の子は四人のうち三人近くがまだ着物で暮らしていたと言うことになる。なお、これは外出時の服装であることを考慮すれば、日常はいま少し着物の割合が多かったということかも知れない。

ramtha / 2016年5月3日