昭和十四年、旧制福岡高校に入学し、学而寮(ガクジリョウ)と称する学生寮に入居することとなった。
その頃
♪あなたは高校三年生 胸に五つの金釦・・♪
という歌があったが、高校の制服も紺の詰襟で、襟にはセルロイド製のカラーをする仕組みになっていた。
入学当初はカラーをしていたものの、カラーが破損してからは、そのまま着用していたので、上着の襟は黒光するほど汚れていた。
親もとを離れての暮らしで、下着は自分で洗濯することはあっても、上着を洗った憶えはない。当時のことだからクリーニング店があったかどうか分からないが、仮りにあったとしても、クリーニングに出すなどという発想もなかったに違いない。だから多分夏休みなど、帰省したときに、母が洗濯してくれていたのだろう。
当時大卒の初任給が五~六十円と言われてようだが、寮生活する高校生の学費は一ヶ月二十五円くらいかかっていた。送金する親の経済的負担は少なくない。そんな中で制服を新調してもらったとは思えないが、その年卒業した先輩のお古を譲り受けて着用したものだったか、どうか定かでない。だが高校生のシンボルとも言うべきマントは、初めての冬を迎える一年の二学期、弁論部の先輩からお古を譲って貰ったことを記憶している。
授業を受けるときは勿論制服を着用していたが、寮では概ね、夏は浴衣、冬は袷を着ていた。しかし同じ寮内でも。食堂や娯楽室などに入るときには、袴を付ける習わしになっていた。高校生の間には、浴衣や粗末な着物でも袴さえ着用すれば、人前に出ることが許されるという不文律があったように思う。
中学の剣道の時間にも袴を穿いていたが、あれは運動に適した馬乗袴である。だが寮生活で私が利用していたのは、股の分かれて居ない行灯袴(アンドンはかま)であった。後年社会人となり、他人様のお通夜に参列した折、正座の苦手な私は、この行灯袴を着用し、長時間の読経を拝聴する間、この袴の中で胡座(あぐら)をかいて、足の痺(しび)れから免れたことが思い出される。
(註)馬乗袴(うまのりはかま)=乗馬用の袴で、男袴の襠(まち)を特に高く裾開きにしたもの。
(註)行灯袴(アンドンはかま)り襠(まち)の無い袴。袋袴。形が丸行灯に似ているから言う。
(註)襠(まち)=①衣服の布の幅の不足した部分に別に補い添える布。②袴の内股の部分に足した布。
夕食後、大濠公園を散策したり、中州の繁華街へ遊びに行くのにも、しばしば浴衣に桍を穿いて出かけたことであった。
しかし、戦時色が深まる博多の街中を、そんな姿で高校生が群れをなして、自由を謳歌するように闊歩するのは、当時の官憲からすれば、苦々しい光景であったに違いない。横断歩道の信号を無視したなどと、些細なことに言いがかりをつけて。交番に連行され、長々とお説教をされたこともあった。それは昭和十五年のことであったが、その後、世の中は次第に暗く重苦しくなって行き、翌年十二月八日、太平洋戦争に突入することとなった。
帽子は中学の制帽と同様の前鍔のついた黒い学生帽子であったが、福岡高校に限らず、旧制高校の制帽には、白い紐が二本(ときに三本の学校もあったように思うが)巻かれてあり、その上に各校毎の徽章が付けられていた。制服のときはもとより和服のときも、制帽を被っていたので、街中でも高校生であることが誰にでも分かった。
履物については別段の定めは無かったと思うが、教練の時間だけは、靴を履いていた。私は中学の時の編み上げ靴を引き続き使用していた。自宅からの通学生の中には靴を履いて居た者も見られたが。寮生は概ね下駄か草履で暮らしていた。
寮の玄関には下駄箱も備えられていたが、土間に放置されたままの下駄が多くあった。下駄には所有者の名前が記されているわけでもなく、他の寮生が無断で借用することもあったが、後刻必ず元の場所に返却され、紛失することなどなかった。学生寮では部屋の入り口にも、押入にも鍵などついてなかったが、在学中物が無くなったということは一度もなかった。
当時の高校生の多くは、俗に弊衣破帽(ヘイイハボウ)と言われた蛮カラを誇示する気風があり、継ぎ当てした帽子や縫目のほつれた服を着、腰に手拭いをぶら下げ、朴歯(ほうば)の高下駄を履いて、街を闊歩する姿が見られたことであった。
またそんな姿でストームと称して、高唱乱舞し、有り余る若さを発散したりしたことであった。街中でのストームは器物を破損することは無かったにしても、周辺の市民には迷惑なことであったに違いない。しかし、その頃の旧制高校所在地の市民には、そうした高校生を暖かく見守ってくれる風潮があった。これも、今ではすっかり失われしまった昭和の風景の一齣である。
(註)弊衣破帽(ヘイイハボウ)=ぼろの衣服に破れた帽子。特に、旧制高等学校の間に流行した蛮カラな風俗。
(註)蛮カラ(バンカラ)=風采・言動の粗野なこと。ハイカラをもじって対応させた言葉。
(註)ストーム=学校の寄宿舎などで、夜、大勢が歌を高唱したりして騒々しく練り歩くこと。
ramtha / 2016年5月1日