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六月二六日 「少子化進展の不思議」

今朝の毎日新聞には総合研究大学院教授・長谷川真理子女史の「少子化進展の不思議」と題する次のような論説が掲載されている。

日本の少子化はどんどん進行し、多くの人々が危惧している。一人の女性が一生の間に産む子の数である合計特殊出生率は、二〇一五(平成二七)年は1.46になった。一時よりは上昇したものの、低い値であることに変わりはない。しかし、世界中どこの国でもみんな、少子化は起こっているのである。

生物は元々、生き残る子どもの数を増やそうとする性質を備えているとするならば、少子化は生物学的には不思議な現象だ。特に、持てる資源が増えて全体としては豊かになっているのに、持つ子どもの数が減るというのはおかしいのではないか?

少子化がなぜ起こるのかは、進化生物学の世界でも長らく謎とされてきた。しかし、人間という生物は「最近の二十万年」どころか、この100年ほどという短い期間に、自らエネルギー資源を開拓し、周囲の自然環境を激変させ、医療を発達させて死亡率を劇的に低下させてきた。こんなことをしている生物は他にないので、人間の繁殖戦略の説明は、他の生物の繁殖戦略と同じ枠内で考えられる部分と、そうでない部分があるに違いない。

生物の体の大きさ、一度に産む子どもの数、子どもの大きさや死亡率、寿命などは互いに関連していて、種ごとにだいたい決まっている。動物で言えば、だいたいにおいて、体の小さい動物は一度に産む子どもの数が多く、生まれた子どもは小さくて死亡率が高い。そして、そういう動物は寿命が短い。いわゆる多産多死・短寿命型である。

一方、体の大きな動物は一度に産む子どもの数が少なく、子どもは大きくて死亡率が低い。そして寿命が長い。つまり、少産少死・長寿命型である。哺乳類で言えば前者の代表がネズミ、後者の代表がソウだ。

日本の乳児死亡率は一九五五(昭和三〇)年には千人当たり39.8人だったが二〇〇〇(平成十二)年代にはほとんど2人になった。日本人の寿命は、一九五〇(昭和二五)年代には男女ともに六十歳代だったのが、二〇一三(平成二五)年以後は男女ともに八十歳を超えている。そして、日本人の合計特殊出産率は一九四七(昭和二二)年には4.54だったのが二〇一五(平成二七)年には1.46になった。この七十年ほどでこれほど大きな変化が起こったのだ。実際の数値にはいろいろあるが、この傾向は世界中で同じである。つまり、人間は多産多死・短寿命型から少産少死・長寿命型へと変化しているのである。

野生生物を見ると、多産多死・短寿命型の生物は、環境変動の幅が大きく予測がつきにくいが、空きの多い生息地に住んでいる。一方少産少死・長寿命型の生物は、環境が飽和していて空きがなく、子ども同士の競争が激しい。多産多死の生物は子どもの世話はほとんどせず、子の運は天にまかせる。少産少死の生物は子どもに競争力をつけるために、しっかりと子の世話をするのである。

この状態は人間にも当てはまる。すなわち、昔は都市も少なく、それぞれの地域社会があり、貨幣以外でも物やサービスが動き、情報も少なく、学歴も低く、その日暮らしが多かった。しかし、現代社会は都市生活者が多く、高い学歴が求められ、情報の流通も激しく、貨幣が一番で、高度な競争社会である。つまり人間は、この百年ほどで高度知識基盤社会と呼ばれるものをつくってきたが、それは必然的に少産少死・長寿命で高度に競争的な社会をつくることだったのだ。

野性の動植物はどれも、資源が豊かになれば、資源の少なかった時よりも多くの子を産み育てる。例えばシジュウカラの夫婦は、餌が少ない年には一回に三、四羽のヒナしか育てられないが、豊かな年には六、七羽育てることもできる。それは、暮らしの全般的状態が同じである中で、餌だけが多くなったからだ。餌が多い年も少ない年も、一羽のヒナを育てるのに必要な栄養量は変わっていない。そこで、豊かな年には多くの子を育てられる。

ところが、人間では、文明が進んで国内総生産(GDP)が増えるとともに、生活水準が上がり、必要な消費財の購入も増え、貨幣の重要度は増し、社会は複雑化し、学歴は高くなり、子どもに対する投資も劇的に増えたのである。昔のような社会のままで資源だけ増えたのではない。資源は増えたが、使い道もふえ、使い方も変わった。だから、少子化は全世界の傾向なのである。

これを読んで、教えられたこと、感じたことなどを、私なりに整理してみる。

① 私の朧げな記憶では、昭和初期の小学校の教科書では「われら国民七千万は・・・」と習ったことである。今日の日本の人口は約一億三千万ということらしい。これには在日外国人も含まれた、国内在住者の数と思われるがどうだろう。

私の記憶の七千万は、当時の日本の領有地であった台湾・朝鮮半島・南樺太・千島列島などの在住者も含まれていたことと思われるから、国土は狹くなったにも関わらず、約九十年弱で概ね倍増したことになる。

考えてみると、物凄い人口増加に驚かされるが、戦後の高度経済成長に支えられてのことと思われる。

② その人口増加が最近では、「少子高齢化」などと言う言葉を耳にして、日本の将来が憂慮されている。こんな現象は何時頃から始まったのだろうか。平成に入って間も無く、いわゆるバブルが弾けた頃からだろうか。私はすでに隠居の身であったから、気にもしなかったが、そういえば、「世の中不景気になった」という話をしばしば耳にするようになった気がする。

③ その後阪神淡路大震災、東日本大震災、最近では熊本大地震など、天災地変に見舞われて、「東京オリンピック」も返上してはという声も聞かれるようになった。
他方、不正規労働者の増加が問題となり、結婚もままならぬ状態では、少子化が心配されることになってきた。

④ 人口減少は日本だけのことと思っていたが、この論説を見ると、程度の差はあるものの、世界各国も同様であることを知った。

⑤ この論説によると、簡単に言えば、人口が増加しているときは、人間の努力によるGDPの増加が、消費を上回っており、消費の方がGDPを超えると人口が減少に転じるということのようである。

最近の世相を眺めると、お笑いなどの低俗な芸能人や過剰なCMを業とする者など、首を傾げたくなる人種が少なくない。本人にすれば生きて行くためやっていることだろうが、これらも人間の消費の総量に加算されているのだろう。

また最近では、学んでいるのか遊んでいるのか分からないような大学生が多いようだが、彼らは潜在失業者とも言うべきだろうが、その行動も消費総量の一部なのだろうか。

⑥ こうしたGDPには何ら貢献しない人々(年金生活者の私もその一人だが)の消費行動は、今後も増え続けるものと思われるが、その行き着く先はどうなるのだろう。日本はもとより、人類は滅亡へ向かって走り続けるということだろうか。

ramtha / 2016年7月9日