筋筋膜性疼痛症候群・トリガーポイント施術 ラムサグループ

七月二日 「国民投票は是か非か」

先頃のイギリスの国民投票以来、国民投票の是非についての議論が喧しい。昨日の毎日新聞には次のように、その道の識者による二つの論説が掲載されている。

先ず、「国民投票は限定的に」と題して内貴滋・帝京大学教授は次のように述べている。

国民投票は、国民の意見を最も直接的に反映することのできる手段で、民主主義では欠かすことができない政策決定方法だ。一方、EUからの離脱の是非のような外交政策、安全保障、防衛政策といった複雑かつ多国間の利害が絡む政策を国民投票に諮ることは、一種の危うさをはらんでいると考えている。国民がそれらの政策の細部まで理解するのは非常に難しく、分かりやすい公約や宣伝などのポピュリズム(大衆迎合主義)的な扇動の影響を受けやすいからだ。

英国では、今回までに計十二回の国民投票や住民投票が実施された。一九七五年の欧州共同体(EC、EUの前身)離脱を間う国民投票を除き、いずれも選挙制度やスコットランド独立議会設置の是非など、内政的なことを問うものだった。一方、現在は七五年の国民投票時よりもはるかに国際関係が複雑化している。今回のように複雑かつ多国間にまたがる政策の選択を、二者択一の投票で国民に迫った例はこれまで英国にはなかった。

一体どれだけの人が、EUの制度や離脱した場合の影響を理解して投票したのだろうか。分かりやすい宣伝文句や雰囲気に流されて投票した人も少なからずいたのではないか。国民投票からプロパガンダ(政治宣伝)の影響を完全に排除するのは不可能に思える。多くの場合、国民投票は最終的な政策決定手段となる。だからこそ、実施する分野は限定的であるべきだ。

つぎにジャーナリストの今井一氏の「主権者の意志尊重を」と題する意見を見る。

EUからの「離脱」という結果を受けて、国民投票という制度自体が批判されていることに違和感を覚える。民主主義の原則は「主権者が決めて、主権者が責任を負う」ことだ。民主主義に過ちはつきものだ。主権者が常に正しい判断や選択をするとは限らない。もし間違った判断をしたと思えば、次の選挙や国民投票で修正すればよい。

ロンドンで国民投票を取材し、さまざまな市民に話を聞いた。日本でニュースを見ていると意外に思うかもしれないが「離脱」という結果を批判する人がいても、国民投票を批判する人はほとんどいなかった。両派の運動費用の一部が国費で賄われたり、公開討論会が開催されるなど、双方が選択肢をきちんと提供できていたように思う。だから主権者も自分の意志を直接的に示せたことに関して満足感があったのではないか。

欧州ではこれまで数多くの国民投票や住民投票が実施され主権者の意志として尊重されてきた。今回のEU離脱という選択が、仮に間違った選択であったとしても、これまでと同じように住民が出した答えを尊重し、推移を見守るべきだ。

国民投票という制度は、最も直接的に主権者の民意を政治に反映させる貴重な手段だ。それぞれの立場で国の将来像を考え、投票するという貴い機会を決して制限してはいけない。

以上二人の意見を読んで、感じ考えたことなどを私なりに整理してみる。

① 今井氏の「民主主義に過ちはつきものだ」と言うことはその通りだ。だからこそ選挙や国民投票は、慎重の上にも慎重にしなければならない。
また、「もし間違った判断をしたと思えば、次の選挙なり国民投票で修正すればよい」と、いとも気楽に述べているが、事案によっては、修正できないことも少なくない。また、修正しようにも事務手続きが多岐に渡り、修正に多大の費用と時間を要することもあり得ることを考えると、「間違ったと思えば次の国民投票で修正すればよい」というのは理屈ではあっても、現実的な解決法とは到底考えられない。

② 今井氏は今回の国民投票で直接現地取材をしたそうだが、有権者の何%に面接取材したか、また、その具体的設問の内容をも明らかにされていない。私としては、そこに疑問が残る。また、私の推測では、外国人記者の取材に応じる人は、当該問題に確たる意見を持つ人に限られるのではと思われる。

③ 内貴氏は「国民投票は内政問題に止め、外交・安全保障・防衛政策のような複雑かつ多国間の利害が絡む問題は国民投票には馴染まない」としている。その気持ちは理解できるが、今日の内政問題にしても、制度が複雑でその道の専門家でないと詳細に知悉していないのが現状ではないか。

④ 以上考えると、日本では、住民投票に委ねるべき問題は、各地方自治体が限界と思われる。それより問題は、住民の意見を代表すべき国会議員の劣化である。これには二つの問題がある。

その一つは、良識の府と言われる参議院が衆議院のコピー化していることである。参議院が政党化して、二院制度の存在すら疑われる始末である。良識の府としての参議院の姿を速やかに取り戻してもらいたい。

⑤ 二つ目は、衆議院の当選者一人の小選挙区制度である。このため所属政党の承認を取り付けるためには、政党幹部のご機嫌伺いに神経を尖らし、本来の政見や国政についての抱負が忘れられがちになり、新米議員は単なる国会の賛成起立議員となってしまっている。
以前の複数当選者制度が最良の制度とは思わないが、一強多弱の現状では、三角大福中(三木・田中角栄・大平・福田・中曽根)の各派閥が党内で喧々諤々討論していたような、自民党内の活発な政策論争を、聞きたいものである。

ramtha / 2016年7月26日