バングラデシュの首都ダッカでのテロ事件では、同国のインフラ整備支援のため滞在中の日本人が多数犠牲となり、全く予期せぬ出来事に驚くとともに、関係者の悲嘆の声が伝えられている。
なお、マスコミの報道によれば、時を同じくして世界各地で同様なテロが発生し、多数の犠牲者が出たと言う。そしてこれらのテロは、いずれもイスラム過激派による事件で、イスラム教のラマダン(イスラム教の断食月)に合わせて行なわれている。今朝の毎日新聞の記事によれば、次のように列記している。
六月十一日 ダマスカス郊外で爆弾テロ、二十人以上死亡。ISが犯行声明。
六月十二日 米フロリダ州オーランドのナイトクラブで、ISに忠誠を誓う男が銃乱射で四九人殺害。
六月二七日 レバノン北部で八件の自爆テロ。五人死亡。ISの関与の疑い浮上。
六月二八日 マレーシアのスランゴール州のパブで爆発、八人が負傷。州政府はISの関与を確認。
六月二八日 イスタンブールの空港で武装集団が四四人を殺害。トルコ政府がIS関与の可能性を指摘。
今月一日 バングラデシュのダッカのレストランで、武装集団が人質ら二二人殺害。ISが犯行声明。
今月三日 バグダッドで二度目の自爆テロで二一三人が死亡。ISが犯行声明。
今月四日 サウジアラビアのジッダの米総領事館近くで自爆テロ。
以上の殆んどがイスラムテロと目されている。アメリカの大統領候補のトランプ氏ではないが、こうイスラム関係のテロが多いと、イスラム人はみんなテロではないかと思われてくるのではないか、気になるところである。
私が知らないだけかもしれないが、一般的なイスラム人から、「テロをやっているイスラム人は、自分たちとは無関係である。一緒にしないでほしい」と言う話を耳にしたことがない。どうしてだろう。
イスラム人というのは、日本人とかアメリカ人のように、国を同じくする人々ではなく、イスラム教の信徒であって、所属する国は別々だから、共通して代表する人が居ないということなのだろうか。いずれにしても、平和を愛する普通のイスラム大が誤解を受けないようにすべきだと思われるが、どうだろう。
今一つ不思議なのは、通常テロには目的があり、その目的達成のために行なわれるものと理解しているが、いま頻発しているイスラムテロは、その目的が分からないことである。言い換えれば、テロのためのテロ、人を殺戮するためのテロではないかと思われることである。
強いて邪推を巡らしてみると、長年に渡る白人のイスラム教徒への過酷な支配と搾取に対する憤りと恨みが、ここにきて爆発したのではないかと思われる。
ダッカで日本人が射殺されたのも、彼らにしてみれば、日本人は白人の手先で同類と認識されているのではなかろうか。そう考えると、おとなしい一般のイスラム教徒も、心の底では一連のテロ事件に対して共感を覚えているのかもしれないと思われてくる。
ramtha / 2016年7月28日