先月の十八日、「大学進学を諦める子は貧困児童?」で取り上げた貧困児童のNHKニュース番組に関しては、さまざまな反響があったようで、今日の毎日新聞の「なるほどドリ」でも取り上げられている。その中で次のような解説記事が記されていた。
生きるのに必要なものが足りない状態を「絶対的貧困」と言います。良く話題になる「子どもの貧困率(二〇一二年一六・三%)」は相対的貧困率のことで、経済協力開発機構(OECD)が定めています。全国民の手取り年収を少ない方から並べると、二〇一二年は二四四万円が真中です。この半分の一二二万円に届かない人の割合が相対的貧困率です。一人暮らしで月十万円くらいです。家族が増えても、水光熱費などは単純に増えないので、二人暮らしなら月十四万円、三人なら月十七万円程度です。貯金などは考慮しません。(以下省略)
これを読んでも、「絶対的貧困」と言う考えは、はっきりしない。ここに示されている「生きるのに必要なもの」というのは、いわゆる衣食住だと思うが、それとても曖昧な表現ではないか。例えば住まいの面積は何ほどか疑問になるし、食事にしても一日何カロリーか、副食の品数もどれだけかなども分からない。
富裕とか貧困というのは、他人と比較してのことで、比較する他人次第で変化する。また、同じ収入でも、常に不足だと思っている人も居れば、十分満足している人も居る。要するに、貧困と言う概念は、人それぞれの心の持ち方で左右される主観的なもので、一様には決められない。強いて言えば、「定収入層」と言うべきではないか。
仕事から退いて約三十年、田舎での隠居暮らしをして世間の変化に疎くなった私には、こうしたことが公に取り上げられている現代の世界は、経済的格差が甚だしく、テロが頻発する世相を表わしているとしか思えない。
ramtha / 2016年10月4日