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九月二十日 「文明は人類の滅亡を招く?」

毎日新聞の今日の「余録」では、人口減少問題に関連して、江戸時代と現代の出生動向を比較するなど、興味ある話題を取り上げている。先ずはその全文を紹介する。

「十五で姐(ねえ)やは嫁に行きお里のたよりも絶えはてた」。童謡「赤とんぼ」は一八八九(明治二二)年生まれの三木露風が自らの幼少時代を詩にしたといわれる。

昔の女性はずいぶん早婚だったと思われるかもしれないが、そうでもないらしい。
▲江戸末期~明治の農村における結婚年齢は男性が約二十八歳、女性が約二十二歳と以外に遅く、十代で女性が嫁ぐ風習があったのは東北地方くらいだと「歴史人口学の世界」(速水融\岩波現代文庫)は述べる。

▲未婚者も多かった。農村の次男や三男は食いぶちを求めて都市に移住するが、都市でもよい仕事は簡単には得られない。男性に比べて女性の数が著しく少ないこともあり、生涯独身の男性は珍しくなかった。結婚した人が多産だったため国全体の人口が維持できたわけで、そこが現代とは違うところだ。

▲国立社会保障・人口問題研究所が発表した「出生動向基本調査」(二〇一五年)によると夫婦が望む理想の子どもの数は平均二・三二人、現実に予定しているのは二・〇一人でいずれも過去最低だった。

▲未婚者(十八~三四歳)で「交際相手がいない」は男性六九・八%、女性五九・一%と五年前の前回調査より大幅に増えた。「性経験がない」も男性四二・〇%。女性四四・二%。少子化対策を最重要課題にしている現政権は頭を抱えたことだろう。

▲江戸時代に人口が急増したのは、農業技術の革新によって新田開発ブームが起きた十七世紀だ。農村の次男や三男が本家から独立して自分の田畑を持つようになり、それが家族の形声を促進したという。人口の増減はやはり経済や産業政策と密接な関係がある。

人口の増減は、確かに経済産業の好不況に左右されることは確かだが、そればかりではない。経済的には恵まれているとは言えないアフリカなど、後進国の方が欧米など先進国より出生率が高いではないか。

七十年前、米軍の空爆で焼野が原となった中から日本人は驚異の経済発展を成し遂げた。私たちが子育てをした時代はまことに貧しい環境であったが、その中で三人、四人と子どもを生み育ててきた。その日本人が子育てから遠ざかりつつあるのはなぜか。

その要因は、さまざまなものがあり、簡単ではないが、思いつくままに取り上げてみよう。

過去の人口増加は労働力の確保にあったのではないか。
国民の大半が農民であった頃は、嫁取りは即戦力の増強であったことだろう。だから天候不順などで飢饉に襲われると、労働力の期待ができない老人放棄や乳幼児の間引きが行なわれた。

長野県の安曇野は、今でこそ有数の稲作地帯となっているが、灌漑用水路が行き渡るまでは、しばしば飢饉に襲われ、間引きが行なわれたらしい。その犠牲となった子どもの霊に詫びるが如く石地蔵が、道路脇のそこここに立っている。また長野平野を見下ろす篠ノ井線には姥捨駅に老人遺棄の名をとどめている。しかし工業の発達により人口の都市集中によりその様相は一変する。

今一つ考えられることは、人類を含め生物は、全て子孫を残し種の保全維持をすることが、宿命的な義務であるが、その潜在意識の喪失があるのではないかということである。

子育てということは、楽しいことよりも煩わしいことの方が多いものである。ことに病弱な子ほど親の苦労は並み大抵のことではない。その苦労をして私たちの親は、我々を育ててくれたのである。私たちも同じ苦労をして我が子を育て、その子供たちは同様に孫を育てて行く。

子育てをし、種を維持して行く本能は、無意識のうちに人類のDNAに刷り込まれているものらしいが、最近は自分の今日を作ってくれた祖先の恩恵を忘れる人間が出てきたようだ。あるいは、自分だけ子育ての苦労から逃避しようという利己主義者が増えたのだろうか。こんな風潮が広がると、やがては民族はもとより、人類が滅亡することになるではないか。

文明が発達進歩すると、生活は便利になり、よろず自動販売機のボタンを押すだけで、たいていの欲望は満たされ、子育てのような煩わしいことはしたくなくなるのかも知れない。

ramtha / 2016年10月4日