当時は、「敗戦」という言葉は禁句で、誰も口にすることはなかったが、戦局は、もはや如何ともし難いことは誰の目にも明らかであった。
しかし軍国主義の統治下にあった日本が、降伏するなどということは、とても考えられなかった。日ならずして地獄の底に突き落とされる以外に無いと言う環境は、人間の心も荒廃させるものであることを、このとき初めて知ることになった。
兵隊の中には部落の女性と通じる者があるという噂をしばしば耳にし、また部落民の中には、兵隊が横流ししたと想われる兵隊用の下着などを身に纏(まと)って居る姿も見られるなど、兵隊も民間人も、多くの人々が倫理観を喪失した状況にあった。
七月に入った頃からそれまで続いていたグラマンによる機銃掃射は少なくなり、上空を米軍機が旋回しながら、無数のビラを投下し始めた。拾い挙げて見ると、
「日本の兵隊さん、銃を捨てて故郷に帰りなさい。あなたが居ないので、あなたの家の田畑は雑草が生い茂り、あなたの家族はみんな、あなたの帰るのを首を長くして待って居ますよ・・・・」
と言う逃亡を勧告するビラである。
初めは上官から拾い集めて焼き捨てよと指示されたが、毎日毎日無数のビラがばらまかれ、全員が内容を読んでしまっているからか、やがて放置されるままとなった。
ramtha / 2015年6月9日