晴れ 朝は霜がきびしく冷え込むも、日中は快晴、風も無く穏やかな日曜日となる。
午後2時スタート、清掃工場の下を通り、老人ホームいずみ園の前の峠を越して、水祖神社に至る。その脇から笠城ダム公園に入り、左回りの道を行く。たまたま私と同じように公園内の回遊道路を歩く人がいたので、笠城山の登り口を尋ねる。彼の話によるば「大山部落の大山溜め池の先からの道が一番近いのだが、もっとも険しく今はあまり人も通らぬので荒れている。それより飯塚霊園と穂波学園の間の道を進み、突き当たった所から左へ進むと良い。たしか道標も出ているはずだ」とのこと。霊園の手前で右の回遊道路を行くその人と別れ、教えられた道を辿る。
穂波学園の横の道を行くと、なるほどT字路となる。これから左へ向かう。折良く道路脇の畠で作業中の老人がいるので、再度確かめるとともに、頂上までの所要時間を尋ねる。「まあ小一時間位でしょう」と答えるので、その位のことならと頂上を目指す。
成る程要所要所に道標があり、立木にところどころテープが巻き付けてあったりして道は分かりやすい。しかし径は細く、ずいぶん急斜面でおまけに辷りやすい。少し登ると忽ち汗が吹きだし息があがる。登れど登れど同じ急な坂道が続き、両側は杉木立に囲まれ展望はきかず、ちょっと休むような所もない。
仕方ないので、急傾斜の道の立木に寄りかかって息をつぐ。頂上はまだか、まだかと思いながら登っていると、ようやくそれらしき所に到達。やれやれと思ったら、それは山腹の展望台で、さらに山頂への道標が立っている。疲れが一度に出て、もうここから後戻ろうかとも思うが、折角ここまで来たのだからと気力を奮い立たせてさらに登る。
この山には戦国時代に城が築かれたとかで、「馬落とし」という空濠がある。その底へ向かって急な崖を下り、また向こう側によじ登る。さらに急な坂をあえぎあえぎ登ってようやく頂上に到達する。
頂上にはちょっと平坦な所があり、小さな子ども2人を交えた7~8人のパーティーが焚き火をして青竹を使ったかっぽ酒を暖めている。私にも一杯いかがと勧められたが、下りの事を考えると酒などとんでもない、好意だけ在りがたく頂戴して辞退する。
山頂に立てられてある説明書によると、「標高425m かつて宗像郡神領の池、合屋郷(現在の幸袋地区)防衛のため城が築かれたが、秋月氏が領有していたとき、糟屋郡立花氏の水攻めを受け落城、秀吉の九州征伐の時廃城された」とある。
頂上からは西側眼下に力丸ダムの青い水面、東側は目尾から頴田方面一帯が眺められる。登山口から頂上まで1時間ばかりかかったが、下りは辷らぬよう恐る恐る下山したが、30分ばかりで下る事ができた。
山を下りきった所で右へ庄司への道標があるので近道ではないかと考えそちらへ進む。しかし次第に進むにつれ、再び山へ向かうようなので折り返し、途中から左への脇道へ入る。ところがこれがとんでもない道で、下はぬかるみ、両側は笹が背丈より高く生い茂り、いったいどうなることかと思いつつも、ガムシャラに進むと幸いにして笠城ダム公園内の舗道に出て一安心。大山峠を越えて帰る。
歩行2万1千歩。 山歩きゆえ距離にして約10km位か。6時前に帰宅。今夜は酒がうまい。
ramtha / 2017年9月11日