白川先生の字統でも、藤堂先生の漢字源でも、幸福の幸という時は、手枷(てかせ=手錠)の象形文字であると説明している。
そう言えば罪人を捉えることを「執」、報復刑を加えることと「報」という。どちらも「幸」の字が付く。
あまり縁起の良くない手枷が、どうして幸福を意味する事になったのだろう。先生たちの説明によると、幸とはもともと思いがけない幸せ=僥倖を意味したもので、のちに広く一般的な幸せに用いられるようになり、思いがけない幸せを別に「倖」の字が作られたという。いうなれば、幸せはハッピー、倖はラッキーなのだろう。
庶民が抑圧された古代社会では、強制労働に従事させられることはもとより、無理矢理戦争に駆り出されたり、天才よけの人身御供にさせられるなどは、日常行われていたことだろう。また親分の身代わりに罪に服するようなことは現代でも耳にすることだが、昔はしばしばあったに違いない。
そうした世の中ではもろもろの悲運に遭うことなく、生涯を過ごしうることは、それだけで稀に手にする幸せ、ラッキーであったということだろう。
顧みれば、名誉はおろか、格別の地位も人並みの財も手にすることなく、、人生の終末を迎えたわが身ではあるが、大した節制も努力もせず、漫然と過ごして来たにも拘わらす、冤罪はもとより、天災地変に遭うこともなく、なんとか今日に至ったことは幸せというべきことだろう。
しかし、太平洋戦争の時代には、学徒出陣で歩兵部隊に編入され、ビルマ戦線へ送られることになっていたが、出動三日前に自分一人留守隊勤務に回され、戦友の大半が米軍の爆撃で玄界灘の藻屑と消える中、無事終戦を迎えることが出来た。
生来病弱の体質で、かずかずの病を経験し、昭和三十一年肺葉切除手術の時には、肺炎を併発し生死を彷徨うこともあったが、主治医の決断による試供薬の効果で一命を取り留めた。
また麻生産業では人事担当者として、エネルギー革命による職員のリストラをさせられ、ずいぶんと辛い思いもしたが、当時の日本経済の高度成長にも恵まれ、就職斡旋などで何とか切り抜けた。
ふりかえってみると、平凡な自分の人生にも、数々の波乱があったものである。してみると、足腰を擦り摩りしながらも、ワープロのキーを叩いている今日の身分は、まことに倖せというべきだろう。
(平成二十五年 一月七日)