昨日は無気力な若者について考えてみたが、今日は従業員を使い捨て消耗品のように取り扱うと言われる企業について考えてみる。
昔も炭坑や工場のような製造業と証券会社などの流通業では、従業員に対する考えに違いがあった。
私が麻生産業の職員人事を担当していた昭和三十年代、職員総数約千人ばかりで、将来の幹部となるべき大卒者は、事務・技術合わせて毎年十名足らずを採用していた。
その頃、証券業界では中堅会社でも、毎年百名以上も大卒者を採用すると聞いて驚いたことがあった。聞けば入社後一年で多くは退社し、残るのは十名足らずになるという。
麻生では新入社員は一年間の教育期間に、事務系であれは炭坑・セメント工場の労務・経理・営業など全般にわたり実習させたものである。
この実習によって、いままでの暢気な学生気分から社会人への心構えも変わり、会社の仕組みを覚え、同時にわが社の社風も身に付けて行った。
またこの間に同期生同士の人間関係が深まり、将来にわたるチームワークが養成され、見えざる戦力の蓄積がなされたことであった。
そういうわが社からみれば、証券会社の社員教育など、どうなっているのだろうと不思議でならなかった。
聞くところによると、流通業界では、新入社員は入社の翌日から営業の第一線に配置され、厳しいノルマが課せられるという。こうした中では即戦力の有る者だけが生き残り、大半の新卒社員は途中で脱落して行くのだそうである。会社もその脱落を見込んで、あらかじめ多数の新卒者を採用しているということらしい。
そういうやり方はずいぶん無駄なことをしているのではないかと思うが、彼等にすれば、わが社が負担している教育費用の方が無駄な出費と考えているのだろう。
麻生太賀吉社長は入社式の訓辞で
「今まで君たちの学費はご両親が負担されたことだろうが、今日から三年間は会社が負担する。だから君たちは心おきなくそれぞれの勉強に励んでもらいたい。
君たちの新しい目で見れば、会社のやり方に疑問となる事も多々あるかも知れない。その時はそれをメモして改善すべきか否かをよく研究し、その成果を三年後与えられる職務で活かしてもらいたい。」
と話されていた。
物を作る製造業は従業員も自分の手で養成し、商品の売り買いを業とする流通業では、従業員も既製品を購入し不要となれば廃棄するという違いであろうか。
想像をひろげれば、この違いは農耕民族と狩猟民族の違いとも言えるのではあるまいか。農業では種を蒔き、苗を仕立て、田植えをし、絶えず水野管理をし、虫除け草取りと、我が子を育てるように粒々辛苦する。これに対して狩猟民族は鳥獣の居そうな原野に出かけて狩りをするが、獲物はその日の食料として消費し、翌日はまた獲物を探しに出かける。その暮らしは収奪と消費の繰り返しである。
かつてユーラシア大陸を風の如く侵略して回ったジンギスカン率いる蒙古軍は、占領地から高度な技術を持つ職人を捕らえて連れ帰り、彼等に物を作らせ自分たちの生活を豊かにしたが、自らそれを作ることはしなかったという。彼等は田んぼを這い回る農夫や、前屈みになって金槌を振るう鍛冶職人などの仕事は、卑しい人間のすることと考えており、武力こそが最高の美徳で、食べ物はもとより家財道具など必要な物は、それを有する者から奪えばよいと思っていたようである。
最近の報道によると、日本の製造業までが即戦力を求めるようになっているらしい。どうしてこんなことになって来たのだろう。
世界経済のグローバル化に伴い、企業間の競争が激しくなり、従業員を養成する余裕が無くなって来たということかも知れない。しかし、もう一つの要因として、今の経営者者や管理職の世代が育ってきた自動販売機文化が考えられるのではないだろうか。われわれが育った昭和初期には、もとより無かった自動販売機だが、世に現れたのはいつ頃のことであったろうか。考えても思い出せないほど、今日では日常の風景に溶け込んでいる。硬貨を入れて必要なボタンを押せば、何も言わなくても確実に商品が手に入るまことに便利な器械である。無愛想な煙草屋のオヤジに声をかけることもしなくて済むし、釣り銭も間違いなく出てくる。商取引が一切無言のうちに行われる。まことに便利なシステムではあるが、売り手も買い手も、ものを言わず、どうもこの頃から人は無精になったのではないだろうか。
金さえあれば、人に関わることなく、何でも手に入る通信販売などというシステムもその産物かも知れない。
子どもは赤子の時から保育園に預けて働く、いわゆる共働きが普通になって居るのは、経済的理由に因るものと考えられているが、中には多額の報酬を支払って家政婦を雇い、保育を委託している主婦も居るとか。このケースなどはでは、子育ての煩わしさから逃避しているのではないかとも思われる。
あれこれと考えてみると、世の人々は便利さと引き換えに、物造りや人を育成する事の大切さや、成長を見守る悦びを忘れつつあるのではと気になるところである。
(平成二十五年一月十三日)