毎日新聞の「記者の目」という欄に、「覆面大分市議 議場入り拒否」問題が取り上げられていた。事件は大分市議に当選した覆面レスラーが覆面着用での議場入りを「品位に欠ける」として拒否されたということのようである。
これについて当該記者は「日常、議場で汚いヤジを飛ばす議員の方が品位に欠けるのではないか、議会が言論の府であるならば、見た目で市民の代表を門前払いをしてはならないし、覆面がいてもいいという有権者の声を無視すべきでは無い」と述べている。
私は一読して違和感を感じたが、これが今の現役世代の常識なのかとも思われたりして愕然とした。
そもそも覆面というのは、盗賊や刺客など悪事を働く者、あるいは人目を忍ぶ行為をする者などが、わが身を隠蔽するために着用するもので、常識ある者の使用するものでは無い。
戦後わが国でもプロレスが行われるようになり、タイガーマスクなど覆面レスラーが現れ人気を博するようになった。この頃から覆面が引き摺る罪悪感が失われ、この記者を含め若い世代は何とも感じなくなったのだろうか。もしそうだとしたら、どうしてこんなことになったのだろう。
近年著しい進化を遂げているという携帯電話がこの変化の主役であるかも知れない。私は「これは便利だから」と長男が買い与えてくれた、ごくシンプルな携帯電話を一度も使用すること無く放置したままである。しかし今日、私の歩く田舎道でも、すれ違う多くの人が片手に携帯を持ち、何やら親指を忙しく動かしている。聞くところによると、今の若者は、肩を並べて歩く友達同士が、携帯を通して会話している者も居るとか。
人と人とのコミュニケーションは、お互いが顔を合わせ会話するのが基本であり、相手の表情・仕種を確認することで、真意を理解するものである。国際電話などの高度な通信手段のある今日、単に言葉の遣り取りだけで真意が伝わるものなら、オバマやプーチン・習近平など各国の要人が、多忙な日々の中、世界中を飛び回る必要は無いはずである。
麻生産業(株)の人事を担当していたとき、私は人事異動の相談は、受け入れ先、送り出し側双方の責任者と直接面談することとしてきた。相手の承諾にも、積極的承諾としぶしぶ承諾の違いは電話では分からないからである。その違いによっては、再考する必要があることもあり、また異動する社員へ、その使命の伝え方を考慮しなければならないからである。
果たしてどれだけ出来たか自信はないが、異動する社員に、出来るだけ明るい希望と期待を持って新任務へ赴任できるようにしたつもりである。
今どきの企業で、従業員へのコミュニケーションがどのようにされているのか、私には分からないが、気に掛かってならない。
同じ家の中で、夫婦・親子兄弟がメールの遣り取りをしているとは思われないが、やがてそんな世の中となるのではと思うと恐ろしい気がしないでも無い。
(平成二十五年 四月二十四日)