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「失われた徳義」

二~三日前の新聞に、道徳を学校の教科に加える事が検討されているという記事があった、
私が通学した昭和初期は、小学校にも旧制中学にも「修身」という一教科があり、専用の教科書もあった。それは明治二十三年に明治天皇の名を以て発布された「教育勅語」を基本としたものであったが、忠君愛国を鼓舞するもので、軍国主義に繋がるものとして終戦後廃止されたことであった。
私もそこまでは承知していたものの、教育の基本は道徳教育にあり、小中学校では当然、平和憲法の下での新しい道徳教科が行われているものと、思い込んでいたので、この記事を見て驚いた。
昭和三十七年、社命で生産性本部主催の米国視察チームに参加した。その折、ニューヨークの日本人クラブで三井物産・三菱商事など、日本商社のニューヨーク支店合同による歓迎会が催された。その席で長年アメリカに滞在されている、三井物産ニューヨーク支店長の高橋氏が次のような話をされた。
 
「先の戦争を始めるとき、日本の軍部ではアメリカは多民族国家だから、開戦当初に打撃を与えれば、必ず内部から崩壊するに違いないと考えていたようだが、現実には真珠湾攻撃を受けた途端、アメリカ国民は日本への敵意を核に団結し、結果は単一民族の日本の方が負けてしまった。アメリカでは多民族国家であればこそ、小学校教育の一番始めに『団結』ということを徹底的に叩き込んでいる。日本の指導者はそんなことも知らずに、アメリカを単なる烏合の衆と考えていたようだが、認識不足も甚だしい。
アメリカの初等教育では、知育より徳育を重視し、小学校の一~三年生では毎朝星条旗に敬礼することで『団結』を、四~六年生では隣人を愛する心『博愛』を繰り返し教え、中学に入ると、困難を乗り越える『パイオニア・スピリット』を叩き込むことに力を注いでいる。戦後の日本ではもっぱら知育に重点が置かれているようだが、『鉄は熱いうちに鍛えなければならない』という諺の通り、人間教育においては、知育も徳育も幼いときほど効果がある。その最も大切な幼児期の教育において、日本では知育に重点を置いているが、アメリカでは知育を犠牲にしても、幼児期の徳育に重点を置くことが大切だと考えている。」
 
あれから半世紀ばかりも経過したことだから、アメリカの現状がどうなっているか、私には分からない。しかし高橋氏の談話は教育の本質を捉えていることに変わりはない。
今日の日本の家庭では、幼児期は猫可愛がりに溺愛するが躾はせず、高校生のような自主的判断力を尊重しなければならない年頃になって、逆に頭ごなしに躾けようとして反発を招く、果ては親子の断絶となっているケースが少なくないようである。
考えてみれば、今日の親は、道徳教育の欠落した戦後の教育の中で育ってきた世代である。その親に子どもの躾を求めるのは「木に縁りて(よりて)魚を求める」ことかも知れない。
無宗教に等しい日本では、平穏な社会秩序を維持するにはことさら道徳心が欠かせない。
 
翻って世界の潮流を見渡すと、アフリカ諸国の民主化運動にも、台頭著しい中国に対する周辺諸国の反発にも、ナショナリズムの高揚が感じられる。わが国でも昨年末の政権交代後、ナショナリズムを意識した政治家の発言がしばしば聞かれるようになってきた。
しかし、日本民族の行く末を考えるなら、ナショナリズムよりも、今日最も大事な事は、国民大衆の道徳心を取り戻す事ではないかと思われる。
一度失われた徳義を取り戻す事は容易なことではないに違いないが、教育界はもとより、マスコミや政財界など、総力を挙げて努力すべき時と思われるがどうだろう。諸賢のご批判を仰ぎたい。
 
(平成二十五年四月二十六日)

ramtha / 2013年7月25日