今日のテレビでは、北京の交通事情のレポートの中で、赤信号を無視して横断歩道を歩く大衆の姿が映し出されていた。
見ると、次々に交差点の中に入り込む歩行者を避けながら車が走っている有様で、まさに無法、無秩序そのものである。中にはトラックが歩行者を避けきれず、人が跳ね飛ばされる現場の映像もあった。
一連の放映の前後を見ていないので、どのような処置がとられたかは分からなかったが、中国の道路交通法でも信号無視は容認されていないに違いない。いずれにしても、中国人の遵法精神は、日本人一般のものとは大分違うようである。
日本では最近、飲酒運転による人身事故に対する刑罰が軽すぎるという被害者とその遺族からの要望で、刑罰強化が論議されているが、中国ではどうなのだろう。不勉強の私には分からないことばかりであるが、中国共産党の支配する今の中国は、どうも法治国家とは言えないようである。
先日の新聞にも、香港政府が四川省の大地震の被害者に対する義援金を贈る事を提案したが、議会はこれに反対しているとか。記事によれば、四年前の四川大地震のときも義援金を贈ったが、被災者には届かず、地方政府の役人によって横流しされたのが原因という。
また別の記事では、今回の地震被害者に対する救援が手ぬるいとの理由で、地方の党役員が、何人か更迭されたとも伝えている。
中国に関する情報は中国共産党の言論統制が厳しく、マスコミでもその詳細は把握し難いようで、真相を知ることは難しいが、どうも日本や欧米諸国のような民主主義社会とは異なり、その時々の権力者の意向によって物事の判断がなされる世界のようである、また、国民もそういう社会に住み慣れ、その中で生きていく術を心得ているのではないかという気がする。
考えてみれば、中国四千年の歴史は、暴動と革命の繰り返しで綴られたもので、漢民族大衆はその荒波を乗り越え潜り抜けて、今日なお逞しく生き長らえている。そのしたたかさは、長年にわたり漢民族のDNAに刷り込まれたもののように思われる。
中国文化を代表するものに漢字があるが、「正義」の正は、一+止の会意文字。一はもと□と書かれたもので、城郭に囲まれた邑(街)の象形であり、止は足の形で進撃を意味する。
「正」は他国に進撃し征服することが原義で、征の初文であると言われている。
今日でも戦争の大義名分が問題視されこそすれ、内実は力が正義、「勝てば官軍」が国際紛争の現実であることに変わりはない。
隣接する異民族と紛争を繰り返してきた大陸諸国に比べれば、周りを海に囲まれ、外敵の侵略らしきものも受ける事なく、比較的平穏に暮らしてきたわれわれ日本人はまことに幸せであったと思う。
しかし万般にわたりグローバル化の進む今日となっては、国際経験の乏しさは日本人の最大の弱点となってはいないだろうか。
国内の日常生活における遵法精神の大事な事に変わりはないが、国際的行動においては、大義名分として正義が叫ばれることはあっても、最後は力が支配することを肝に銘じ、それを若い世代にも充分伝えておかねばと思うことしきりである。
(平成二十五年四月三十日)