毎日新聞の今日の特集「惑うアラブ~革命後のエジプト」によると、革命後の小学校の歴史教科書からは、ナセル、サダト、ムバラクの歴代3大統領の業績を伝える部分が末梢され、代わりに二〇一一年の革命に関する説明が加えられた。俗に言う歴史の書き替えが行われていることを伝えている。
かねて中国では、秦、漢、魏、晋、宋・・・と王朝が変わると、新しい為政者の命を受けて前王朝の歴史が編纂されたという。従って新王朝に都合の悪い事実は、その責めを前王朝のものとするなど歪曲された部分があるとも聞いている。
最近日本と中国・韓国との関係がギクシャクするようになり、それに伴って「歴史認識の相違」ということがしきりと言われている。
昭和初期に私たちが学習した「歴史」は敗戦と共に廃棄され、新たに編纂された教科書により行われているようである。
門外漢の私には、どのような内容になっているのか分からないが、私が習った歴史とは違っていることは確かであろう。
人の評価は「棺を蓋(おお)いて事定まる」ものと教えられて来たが、二千年来聖人と崇められてきた孔子でさえ、中国共産党政権下では、封建主義を擁護するものとして、一時期、批判の対象とされるなど、人物も歴史も、その評価は不変のものとは言えないようである。
また同じ歴史上の事実も、これを見る立場によって異なることも、お互い人間である限り避けられない。
アメリカでは、一八六〇年代の南北戦争について、今なお北と南ではその評価を異にする人がいるともいう。
日清・日露の戦争についても、極東の小国日本がその存在を護るための自己防衛の戦いであったと、我々が主張しても、中国人やロシア人は容認しないに違いない。
日韓併合の時代、朝鮮半島全土に鉄道を敷設し、禿げ山に植林し、河川に堤防を築くなど、日本は内地の財産を持ち出して、多大の投資をしている。それが今日の韓国の国民生活を支える基礎となっていると思われるが、韓国人にしてみれば、そんなことより、その間、国家主権を奪われ、日本語による会話を強いられるなどした屈辱感は忘れられないという事だろう。
先日安倍総理が、歴史認識についての質問に対して「それは学者の研究に任せるべきもので、政治家がコメントするものではない」旨の答弁をされていたが、正しい対応であると思ったことである。
漢字の字源についても、かつては二〇〇〇年前、後漢の許慎が著した「説文解字」が最も権威あるものとして、その解説がひろく行われていた。ところが十九世紀末、中国の河南省安陽県というところで、亀の甲羅や獣の骨に、鋭い刃物で刻みつけられた文字、所謂甲骨文字が発見された。この甲骨文字は「説文解字」より遙かに古い紀元前十四~十一世紀に、古代国家、殷が使用したものと判明、その研究の結果「説文解字」は多くの誤りが指摘され、修正が加えられている。
こうして見ると、われわれが今日参考としている歴史は、確定したものではなく、これを全面的に信用し判断の材料とするのは、如何なものかと思われてくる。他人の意見と同様に、歴史を参考資料の一つとすることは差し支えないとしても、これに全面的に依存することは甚だ危険であると考えねばならない。
人が何らかの行動をしようとするとき、事前に必要な資料を集め、可能な限りの検討をするが、最後は清水の舞台から飛び降りるような決断をするのであって、歴史認識に導かれて行動するものではない。
また、前述したように、同じ歴史的事実であっても、それを評価する者の立場によって、評価を異にするもので、立場の違う者同士の間では、一方がその力を背景に、他方を自分の認識に従わせる以外、歴史認識を同じくすることは不可能である。
「歴史認識」の一致を声高に言うことは、お互いの対立を煽ることにはなっても、親善な関係を醸成するには何の効果も無いと思われるが、どうだろう。諸賢のご高説を伺いたい。
(平成二十五年五月十一日)