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「中国の外来語事情」

先頃「折々の想い」を届けた友人から、中国の外来語表示について連絡があった。
 
日本中国検定協会理事長の上野恵司氏の解説を紹介してくれたものだが、いずれも初めて知ることばかりであったので、書き留めることにする。
 
①中国には日本のようなカタカナは無い。外来語は通常漢字で表記される。
マルクスと「馬克思」と表記し、馬(ma・第3声)、克(ke・第4声)、思(si・第1声)と、それぞれの字に高低のアクセントを付けて読む。
アクセント抜きでmakesiと棒読みしたり、言語のmarxと発音したのでは、意味のある音としては聞こえないらしい。
 
②地名も倫敦(ロンドン)、伯林(ベルリン)のように多くは近似の音の感じが充てられる。人名や地名のような固有名詞の他は可可(ココア)威士忌(ウィスキー)のように音訳されることもあるが、机器人(ロボット=机は機の簡体字)、照相机(カメラ)、熱狗(ホットドッグ)のように意訳される事が多い。
 
③芭蕾舞(バレエ)、鶏尾酒(カクテル)、吉普車(ジープ)のように音訳だけでは落ち着かないのか、後に種類を著す語を添えたものもある。
 
④一般的な傾向としては、外来の事物に接したとき、とりあえずはその事物とともに名称も外来語のまま受け入れ音訳語を用いるが、やがて中国語として違和感の少ない意訳語に変わっていくという流れを指摘できそうだ。
 
⑤例えば英語から入ったBank、最初は「版克」という音訳語を用いたが、やがて「銀行」に変わった。Cameraは「開麦拉」という音訳語が使われた時期があるが、後にいくつかの意訳語が現れ、今は「照相机」が定着している。縮めて「照相」とすることもある。
デジタルカメラは「数碼相机」または「数字相机 。「数碼」も「数字」もデジタルの意訳である。
 
⑥「写真器」という語もあったが、今日では「写真」はもっぱら人物の姿を描いた画や写真に限られる。「写真集」は通常のアルバムではなく、ヌード写真集を指している事が多い。
 
⑦「盤尼西林」はペニシリンのこと。今は「青黴素」を用いる。
 
⑧ピアノは「披亜諾」から「鋼琴」に、サイエンスは「賽因斯」から「科学」に、ステッキは「司的克」から「手杖」「拐杖」に変わった。いずれも音訳語から意訳語への変化である。
 
⑨中にはタクシーのように、いったん「的士」から「出租汽車」に変わって、近頃また「的士」に逆戻りしたものもある。
 
日本では明治初期、国を挙げて欧米文物を取り入れることに狂奔したことである。そのために多くの知識人が欧米に派遣され、新知識の吸収に努めたが、それを日本国内に根付かせるために、無数の外来語が作られた。
その時倫敦(ロンドン)伯林(ベルリン)など固有名詞は中国と同様に漢字による音訳表記がなされたが、学術用語は哲学、科学、抽象、演繹など意訳による熟語が作られている。
 
以来百余年、今では日常生活に欠かせない必需語となり、日本古来の熟語と区別がつかなくなっている。
 
昭和二十年、第二次世界大戦後、米軍の進駐とともにアメリカ文化が大量に流入することになり、それに伴う外来語が作られたが、今度は日本訛りの発音ではあるが、原語の音訳、つまりカタカナ語が夥しく作られた。
 
戦後作られた外来語の音訳カタカナ表記は、外来語を作る当時の知識人に漢語の素養が浅く、意訳する能力を欠いたこともあるが、直接的には、昭和二十一年、当用漢字が定められ、日常使用する漢字が著しく制限されたことに因るもので、紐育(ニューヨーク)巴里(パリ)ど、それまでの漢字による音訳表記のものも、カタカナ表記となっている。
 
なお、その後は対応する適切な漢語があるにも拘わらず、音訳によるカタカナ表記を格好良いする風潮となり、今日見るようなカタカナ語の氾濫を招いている。
 
こうしてみると、外来語に対する対応が、日本では意訳から音訳に変化しているのに対して、中国では音訳から意訳へと逆の道を辿っていることに気がつく。
 
どちらも在来の熟語と区別するためと思われるが、日本では表音文字のカタカナによってなされたが、中国では漢字以外の文字を持たないために、当初音訳表記に漢字を仮借している。
しかし、在来の熟語との区別が定かで無いために後に意訳による熟語を作ったり、前記③に例示したバレエ=芭蕾舞(芭蕾が音符、舞が意府)のような形声文字まがいの熟語を作るなどの苦心をしている。
 
今ひとつ、日本の場合は外来語を音訳する場合、カタカナ表記であるため、誰が音訳しても概ね同じ表記になるが、中国の場合は、日本の万葉仮名のように、一つの外来語に対して、しばしば複数の音訳表記が作られているようである。ここでは、漢字の他にカタカナを有することが日本語の利点となっている。
 
前にも触れたが、漢字の本質は表意文字である。勿論言葉に対応して漢字があるので、音を伴うことではあるが、日本で使われる漢字にも、漢音、唐音、宋音、呉音など移入された時代による音の違いがあるように、同じ漢字の音が時代と共に変化してきている。しかし意味するものは同じであるから、古典を読むときも、われわれが源氏物語を読むのに、古語の勉強をしなければならないような苦労をすることはない。表意文字の功徳である。
 
また、広大な面積を有する中国では、北京官話の他、南京、広東、四川など、それぞれの地域で通用する発音には、日本の方言以上の差異があると言う。だから地域を異にする人の間では直接会話では通じないこともあるようだ。しかし筆談すれば意志を通じ得るというのは、これまた漢字が表意文字であることの効果と言えよう。
 
【注】
 漢音:唐代、長安司法で用いた標準的な発音を写したもの。遣唐使、留学生などにより、奈良時代、平安初期に輸入されたもの。
 
 唐音:宋、元、明、清の中国音を伝えたものの総称。禅僧や商人などの往来によって、主に中国江南地方の発音が伝えられた。「行灯」をアンドン、「普請」をフシンという類。
 
 宋音:従来、唐音として一括されていた音の一部。わが国の入宋僧または渡来した宋僧の伝えた音という。「行」をアン、「杜」をヅとする類。
 
 呉音:古代中国の呉の地方(揚子江下流沿岸)から伝来した音で、わが国では多くの僧侶が用いた。「行」をギョウとする類。(広辞苑に因る)
 
(平成二十五年五月二十一日)
 

ramtha / 2013年10月13日