昨日のテレビニュースで、去年の出生率(一人の女性が一生に産む子どもの数)が全国平均で1,41であったと伝えていた。出生数は第二次ベビーブームと言われた昭和45~6年頃より減り続け、一昨年よりも約一万人少ない103万7101人で過去最少であったという。
第一子出産時の母親の平均年齢が30.3歳と過去最高を更新するなど、晩婚、晩産化によるものらしい。
子どもは夫婦の間に産まれるのだから、一組の夫婦に平均して1.41の子どもでは、国の人口は減少するばかりである。今のところは日本の総人口は一億を超えているようだが、この調子では近い将来一億を割り込む事は明らかである。
人口の多寡が国勢のすべてというわけではないが、人口の減少傾向というのは、国の将来に影を落とすことと思われる。とりわけ少子高齢化と言われていることからすれば、若年層の減少はより著しいことになる。
顧みると、私の小学校の同級生三十二名の内、兄弟姉妹の居ないいわゆる一人っ子はただ一人で、他はみな何人かの兄弟姉妹が居たと記憶している。同級生の多くは四~五人兄弟で、七人兄弟の者もいた。
私自身は六人兄弟の五番目であるが、三人の姉妹は幼少の頃に病死している。私が学童であった昭和初期は、都会でもまだ舗装道路はなく、荷馬車が通る度に埃が舞い上がり、駄菓子屋の陳列ケースの中にも蠅が見られるような衛生環境であった。また医薬品も抗生物質など無く、病弱な子を持つ親の苦労は大変なものであった。
そのようなことで、幼児の死亡率も今日のアフリカ諸国のように極めて高かったことである。
古今東西を問わず人間社会は、生活水準の向上と共に死亡率は減少し、同時に出生率も低下するのが自然の摂理であるようで、ニュースの伝えるところでも、先進国の出生率はアメリカ、フランスが2.0を上回る他は、軒並み2.0を割り込んでいる。これに対して死亡率の高いアフリカでは、それを埋め合わせるかのように、出生率は何と7.0を超えているという。
フランスは国策として、手厚い子育て支援をしているとか。その成果とも見られるようである。
十三億を超える国民を抱える中国では、三十年ばかり前から独りっ子政策を行って人口抑制をしてきたようであるが、最近の経済発展を見ると、貧困撲滅にそれなりの成果を上げたのかも知れないが、今では国民の高齢化が危惧されているとか。自然の摂理に逆らうことの難しさを改めて思い知らされることである。
日本政府は保育施設の拡充など、子育て支援に力を入れて、人口減少に歯止めを掛けることとしているようだが、果たして成果を見るのはいつのことになるのだろう。
世界の総人口は今日でも六十億を超え、これ以上の人口増加は食糧確保の困難が予想されるとも言われる。遺伝子組み換えなど、農業技術の研究開発で解決できるという楽観論も一部ではあるとも聞くが、果たしてどうなのだろう。遺伝子組み換えには、原子力事故のような取り返しのつかない危険性はないのか、気になるところである。
しかし、不安があるからといって、呆然と立ち止まっていては進歩は無い。試行錯誤しながらも進むべき道を探し求めなければならないのが人類の宿命であろうか。
(平成二十五年六月六日)