今年の夏はとにかく暑い。お盆を過ぎたら多少は凌ぎやすくなるかと期待していたが、どうも駄目なようで、今日もエアコンを休ませるわけには行かないようである。
そういえば、このところ連日耳にする言葉に「熱中症」があるが、大正生まれの私には「熱中」といえば、物事に心を集中することで、他人から「熱中症にかからないように・・・」などと言われると、集中力に欠ける私は、熱中することなど無いのにと思ってしまう。
今日の「熱中症」は、私の時代の「日射病」の事を言うようだが、何時から病名が変更されたのだろう。それとも私が知らなかっただけで「熱中症」は昔から使われていたのかも知れない。そこで手元の広辞苑を広げてみた。すると、私の理解する「熱中」は記載されているが、「熱中症」は無い。また「日射病」は記載されていて、私の記憶通りの説明が記されている。まずは自分の記憶違いでないことにひと安心した。
私の「広辞苑」は第三版で一九八三年(昭和五八年)発行のものだから「熱中症」という言葉はその後造られたもののようである。
私の「広辞苑」では「日射病は、夏期など強い直射日光に長時間照らされる際に起こる病症」と説明されている。ところが、近頃のテレビニュースでは「猛暑日は屋内でも熱中症になる恐れがあるので・・・」などと放映されているのを見ると、「日射病」は屋外で発生するのに対して、「熱中症」の発生場所は家屋の内外を問わないということのように思われる。
ところで昔は屋内で熱中症が起こることは無かったのだろうか。それとも発生件数が少なく無視されていたというのだろうか。
考えてみると、私が幼児期を過ごした昭和初期は、冷房はもとより一般庶民の家庭では、冷蔵庫も扇風機も無く、氷屋から氷を買ってこなければ、井戸水のほかに冷たい飲み物も無く、ひたすら団扇で涼気をとるという暮らしであった。
もっとも家屋は大半が木造で、庶民の家の建て付けは隙間だらけのお粗末なものであったし、建具は開けっ放し、目隠しには申し訳程度に簾(すだれ)を下げているという有り様だから、裏長屋などでは外から丸見えではあった。だから今日の密閉性の高い建物に比べれば、風通しは良かった。それでも団扇だけの暮らしではずいぶん暑い思いをした気がする。
そんな暮らしの中でよく過ごして来たものだと今では思うが、昔は今日ほど気温は高くなかったのだろうか。地球温暖化などとも言われているから確かに昔より暑くなっているのだろう。
それに加えて昔には無かった自動車の排気ガズ、さらに今では生活保護世帯にもあると言われる膨大なエアコンの排気熱、コンクリート建物や舗装道路の輻射熱がわれわれを取り巻き苦しめている。
また、都会では都市集中で増え続ける人々の呼気も加わり、ヒートアイランド現象などという言葉もつくられているが、私の住むこの田舎でも冷房なしでは耐えられない暑さである。
それに比べると、昔は今より気温も低く、人々は辛抱強くもあったし、プライバシーなどという言葉も知らず、よろず明けっ広げの暮らしをしていたから、屋内で暑さで倒れるということは希で、熱中症という言葉も不要だったのだろう。
以上くだらぬことを書き記していれば、気が紛れて少しは暑さ凌ぎになるかと思ったが、今日の暑さはしつこく離れない。 あ-暑い!今日もエアコンに働いて貰おう。
(平成二十五年八月十七日)