車の運転が出来ない私は、歩くことは嫌いではなく、以前は毎日一万歩を目安に歩いていた。一万歩と言えば、一歩の歩幅を六〇センチとすれば、六キロメートルとなる。わが家から飯塚市の中心部まで約三キロだから往復で一万歩となる。
そんなことで、十年ばかり前までは、しばしば歩いて往復したものだが、八十の坂を越してからは、足腰が急速に衰え、今では毎日近くの田圃の周り、約四〇〇メートルばかりを一周するのがやっとという有り様である。
これ以上衰えないようにと、膝、腰の痛みをこらえて歩くことにしているが、夏は直射日光を避け、早朝に歩いている。
今朝も近くの田圃沿いの道を歩いていたら、バイクに乗ったお百姓さんが、稲の生育状況を見回っている。
今年の稲は好天続きのせいか、例年より早く穂をつけているようだ。それにしてもこのところ毎朝見る風景である。見るところ兼業農家ではないかと思われるが、勤めに出かける前の仕事のようである。
この暑いのにご苦労なことと思うが、昔の農家の苦労はこんなものではなかったことだろう。自家用トラックも草刈り機も耕耘機も無く、種まきから苗を仕立て、一日中前屈みの姿勢で田植えをし、夏の暑い盛りに水回りの調整、草取り、秋にはまた終日前屈みの稲刈りと大変な苦労をしていた。
小学校の時、お米はお百姓さんが春先から秋の取り入れまで八十八回もいろいろな作業をして作られるから米と書く。だからご飯を頂くときはお百姓さんの苦労に感謝し一粒も残さないようにと教えられたことが思い出される。
考えてみれば、私たちの世代は戦中・戦後の食糧難を経験しているが、日本経済の高度成長期に生まれ育った人たちは、減反、米離れの環境の中で暮らしてきたことで、お米を大事になどということは考えたことはないのではないか。
今日TPP交渉が課題となっているが、その中でも米は日本の交渉の足枷になっていると感じている人も少なくないのではあるまいか。
長年、農業保護政策がとられてきたが、国の財政赤字が累積し、その立て直し喫緊の課題と言われる今日、農業政策の抜本的改革が迫られている。そこで素人の考えを整理してみる。
①アメリカなどに比べ日本の農家は所有する耕地面積が狭く、耕作機械を導入しても使用頻度が著しく低くコスト高が避けられない。自立できるようにするには、まずは集約化をしなければならない。それには農地の集約が第一であるが、現在の農家の所有する農地を一旦全て国が借り上げ、所有者には借地料を支払うこととする。
②その農地を集約し、そこでの営農を希望する営農法人を募集し、入札により落札者に貸与する。
③落札者にはその農地で無期限に営農することを義務づける。但し累積赤字により負債が資産の八割を超えるときには、その営農権利を返還させる。
八割というのは,負債が目減りすることは無いが、資産は処分するとなると、帳簿価格通りとはいかず、しばしば目減りするからである。
④変換された営農権利は、これを引き継ぐ営農法人を募集し入札により落札者に貸与する。
ざっと以上のようなことを考えてみたが、どうだろう。
従来の農家保護では無く、農業の自立育成を政策の基本とする考えとしてみたわけである。こうすれば、兼業農家も後継者不足で耕作地を放棄している農家も、零細農業から撤退し整理がつくのではないか。
営農継続を希望する大規模専業農家には法人化を促し、従来の農地に対する借料と落札価格との差額を計算処理することとし、優先的に扱うことにしてはどうだろう。
いざ実施するとなれば、さまざまな問題が発生することと思われるが、それは専門家の智恵で解決して欲しい。
いずれにしても、食糧自給率の向上と、農業経営の自立を基本として、今後の日本の農業を育成すべきものと考えるが、諸賢のご批判を伺いたい。
(平成二十五年八月十九日)