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「選挙制度に思う」

投票所となっている伊岐須小学校へ行く。衆議院小選挙区、比例区と併せて最高裁判所判事に対する賛否投票が行われている。

衆議院選挙については、選挙運動期間、わが家のような片田舎でも、選挙カーが幾度も回ってきてうるさく感じるほどであるが、最高裁判事の賛否については、当該判事の経歴を紹介する広報が各戸に事前配布されるだけである。そもそも法律に無知な私は、いつものことながら与えられた用紙をそのまま投票箱に投函してきた。
最高判事についての適否など、その道の専門家以外大半の有権者は、私と同様に何の情報も知識も持ち合わせないまま投票させられ、投票しているのではあるまいか。欧米諸国などではどのようなことになっているのか、不勉強な私は何もわからない。

国会議員選挙のように、最高裁判事立候補者が各自所見を述べる選挙運動をするというのであれば、我々素人も多少の知識を得ることができるかもしれないが、それとても立候補者を比較しうる能力を手にするとはとても思われない。
こう考えてくると、最高裁判事の賛否投票は、何か事ある時に「お前たちが選んだのに文句あるか」と言う国民への責任転嫁のためのものとしか思われない。
国民にとっては、まだ幾分でもわかりやすい総理大臣の選挙は国会議員による間接選挙としているのに、なぜ最高裁判事は直接選挙としているのか全く理解し難い。

私だけが見落としているのかもしれないが、国民に情報提供を示しているはずのマスコミも、これについて説明してくれたことがない。どうしてだろう。
総理を国会議員の互選としているのだから、最高裁判事は裁判官、検事、弁護士など法曹界全員による互選にしてはいかがなものだろう。皆さんのお考えを承りたいと思っている。

私が投票した伊岐須小学校の隣に二瀬中学校があるが、こちらにも投票へ向かう人たちが歩いている。聞くところによると、二瀬中学校は別の地域の投票所となっているということだ。今までもそうだったに違いないが気がつかなかった。選挙管理委員会は、どうしてこんな馬鹿なことをするのだろう。
投票所は、全国各地の住民が投票に便利なように、設置されているはずだから、こんな隣接地に二つの投票所を設けるなど選管は何を考えているのだろう。これではいずれか一つに統合すべきではないか。さなきだに財政赤字で苦しんでいると言うのに、受付係も立会人も投票箱も二倍必要とするようなことをするのだろう。

投票所設置には、人口や面積などによる基準が設けられているのだろうが、投票所間の間隔については、余りにも常識的なことで特段の定めがないのだろう。
炭鉱華やかなりし頃や高度成長期はこんなムダも見過ごされてきたのかもしれないが、それにしても無駄が多いと言われる役人仕事の典型的な実例を見せられた。
全国各地にこのような無駄が数限りなくあることと思われる。

「増税より先にまず行政改革を」というのは、選挙の度に耳にする公約であるが、その成果を見せてもらった事は無い。
思うに行政改革の努力はされているのだろうが、政治家や役人にやらせていては埒があかないのでないか。
日夜目を皿にしてコスト削減の手段を探している民間企業人にやらせれば、忽ち消費税増税分くらいの財源は見つかるのではないか。

老骨が半世紀以上前の話を持ち出しても、誰も相手にしてくれないだろうが、エネルギー革命による炭坑不況の時はそれまで事務所で購入していた新聞も廃止し、仕事の合間に飲むお茶代も事務員全員の負担としたこともあった。そんな時代をくぐり抜けてきた目で見れば、先進国最悪の財政赤字と言われながら、今の日本人は無知蒙昧というか大胆不敵と言うべきか、不思議な人種と思われてならない。

(平成二十六年十二月十四日)

ramtha / 2015年5月27日