買い忘れていた日記帳を買うため、家内に飯塚市内の紀伊国屋書店に行ってもらったが、閉店していたという。念のため電話をかけてみると「この電話は使われていません」のメッセージ。店じまいをしたらしい。
仕方がないので長男にインターネットで発行元に注文して取り寄せてもらった。飯塚市も消滅可能都市とやらの仲間入りをするのかと思っていたら、今朝の毎日新聞の「余録」で関連する記事を見た。その一部を引用する。
「下田でも函館でも書物は店頭で見受けられた。それらは一般に初歩的性質の安価なものか、通俗的な物語本または小説本で明らかに大いに需要されているものであった。人民が一般に読み方を教えられていて、見聞を得るのに熱心だからである」
以上は日米和親条約締結後、開港地の人情視察を行ったペリーの記録である。
かねて江戸時代の日本人の識字率が高かった事は耳にしていたが、女性にまで及んでいたとは知らなかった。どうして日本人の識字率が高かったのだろう。
武士には各藩に藩校があり、町民のためには寺子屋があったことが原因であったことは間違いないことだろうが、何よりも三百年近くも平和であったことが最大の要因と言えるだろう。その本屋が最近激減しているという。
徳川幕府の鎖国政策はわが国の歴史に功罪両面の結果をもたらしているが、国民の識字率の向上など文化水準のレベルアップに寄与した事は認めなくてはなるまい。
(平成二十七年一月七日)
ramtha / 2015年6月14日