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「節目の年」

戦前の小学校の歴史では、わが国の天皇は神武天皇を初代として始まり、昭和天皇は一二四代目にあらせられると教えられてきた。そして歴代天皇の称号を暗記すべく繰り返し唱えさせられたので

神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化、崇神、垂仁、景行、成務、仲哀、応神、仁徳、履中、反正、允恭、安康、雄略・・・くらいまでは今も記憶している

これに従えば今の陛下は一二五代の天皇ということになる。しかし私にとって大正天皇までは歴史上のことで、新聞やテレビで龍顔を拝み、玉音を拝聴したのは昭和天皇と今上陛下だけである。だから畏れ多いことながら、私自身の実感のあるイメージは昭和天皇と今上陛下だけということになる。

昭和三年、昭和天皇の即位御大典を祝う行事が、北九州市小倉にあった陸軍野戦重砲聯隊の練兵場で催された。そこでどんな行事があったか覚えていないが、親父に連れて行ってもらった記憶がある。それを初めとして平成元年隠居するまで、私の現役人生のほとんどが昭和の年代と重なるので「昭和」には格別の思いがある。

思えば歴代の天皇の中で昭和天皇ほど波瀾万丈の経験をされたお方は居られなかったのではなかろうか。

大正天皇ご不例のため、当時皇太子であられた昭和天皇は大正十年十一月摂政となられたが、大正十二年九月には関東大震災とデマによる朝鮮人虐殺、十二月には凶漢難波大助が摂政宮へ発砲する虎ノ門事件発生と、ご宸襟を悩まされることとなられた。

天皇に即位されてからは、軍が統帥権を振りかざす独断先行が多く、陛下の宸慮に反して日中戦争から第二次世界大戦へ突っ込み、ついには破局を招くこととなった。

昭和二十年八月十五日陛下は御自らラジオの玉音放送によって終戦後を命じられることとなった。聞くところによると、当時軍部にはなお徹底抗戦を主張する者も少なくなかったとか。

陛下のご聖断によって今日の日本がある事は、戦後御自ら占領軍司令部へマッカーサー元帥をご訪問、御自らの玉体に換えても、国民の安泰を望まれたことと併せて、後世に長く伝え続けて行かなければならないことである。

今年は戦後七十年の節目の年と言われ、安倍総理は終戦記念日の八月十五日、特別談話を発すると聞いている。これに関して、前に近隣諸国へ多大な迷惑をかけたことに遺憾の意を表す河野談話・村山談話を修正するとか踏襲するとか噂されているようだし、先の衆議院選挙で与党が大勝したことを受けて、彼のさらなる右傾化が気になっている。

今上陛下は新年のご感想で「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えて行くことが、今、極めて大切なことだと思っています」と述べられたと伝えられている。

陛下が「満州事変に始まる・・・」と従来のお言葉より一歩踏み込んだ具体的表現をされたのは、異例のことではないかと私には感じられるが、どうだろう。

陛下は戦時中、ご自身学童疎開など不便な生活も体験されておられると聞いている。
戦後生まれの安倍総理には、陛下のこの言葉の重みを十二分に噛み締めた上で、しかるべき談話を発してほしいと私は考えている。

(平成二十七年一月十四日)

ramtha / 2015年6月16日