誠にお恥ずかしい限りだが、今日まで私はヨルダンという国が中東に存在することは知っていたが、それ以外のことについては全くの無知であった。
今朝の毎日新聞の西川恵氏の「ヨルダン友好の基盤」と題するエッセイで、目を開かされる思いがした。健忘症の自分が繰り返し読むために書き留めておく。
”ヨルダンは人口700万人。ほぼ北海道の広さだ。親西欧の国だが、舵取りが如何に難しいかは境を接する国を見れば分かる。
西から時計回りにイスラエル、シリア、イラク、サウジアラビアの4カ国。サウジを除き、戦火と衝突が絶えない国々だ。湾岸戦争、イラク戦争、シリア内戦と、事ある度に難民が押し寄せ、それに紛れて戦闘員やイスラム過激派が流れ込む。
外からの脅威だけでは無い。国内には過激派思想に染まった若者がいる。イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の創始者もヨルダン人だ。軸足は親西側でも、欧米に密着し過ぎると国民の反発を招く。
国政を握るアブドラ国王は過激派を取り締まりつつ、西側と一体化したと見られない巧みなバランス感覚で国を仕切ってきた。だから同国が米欧を共にIS空爆に参加した時は驚いたが、ISの脅威は深刻だったのだろう。
日本とヨルダンの友好のバックボーンは皇室と王室の緊密な関係だが、あまり知られてない出来事がある。
昭和二十八年エリザベス英女王の戴冠式がロンドンで行われた。当時、皇太子だった天皇陛下は昭和天皇の名代で参列したが、会場のウエストミンスター寺院に入ると、案内人からある席を示された。そこは序列にそぐわない席だった。
終戦から八年、英国の対日世論は厳しく、そうしたことの反映と思われた。そのとき「皇太子!」と駆け寄ったのがヨルダンのフセイン国王(当時)だった。前年国王に即位したばかりの十七歳の国王は「私の隣にいらっしゃい」と、同世代の十九歳の皇太子を自分の席に連れて行った。
ヨルダン王室はイスラム教の開祖で預言者ムハンマドの血筋を引く由緒あるハシム家。英国は最前列の最上席を割り当てていた。当時の写真には、アラブ民族衣装のフセイン国王と皇太子が並んで最前列で式典を見守る様子が映っている。
この出来事を教えてくれた元外交官は「国際社会の日本への視線がまだ厳しい時、フセイン国王が日本の名誉を救ってくれた事は忘れられません」という。両国の皇室と王室の緊密な交流はこれ以来である。
平成十一年二月フセイン国王がなくなり十ヶ月後、後継のアブドラ現国王を国賓で招いたのも、ヨルダン王室に対する敬意の表れだ。”
天皇陛下の温和なお人柄から拝察すると、ヨルダン王室との交流も、気品溢れる和やかなものであるに違いないことと思われる。
(平成二十七年一月三十日)
ramtha / 2015年6月27日