私の拙い散文を読んで頂いている、日野春伽さんから便りが届いた。今回は戦前の「修身の教科書」についての話題が取り上げられていた。
これを見て、昭和初期私たちが受けた修身の具体的な内容はほとんど忘れてしまったが、当時の小学校の修身は、明治二三年に公布された「教育勅語」がその基本であり、紀元節や天長節などの儀式では、校長先生が必ず奉読されておられたし、修身の時間には繰り返し奉読させられた事を思い出した。
かつては全文暗唱し得るまで記憶していたものだが、戦後七十年を経た今日では、暗唱はとても覚束ない。幸いにして、以前友人から頂いた資料があるので、それを頼りに全文謹写することとする。
なお、原文は旧仮名遣いによる漢字カタカナ交じり文で、濁点・半濁点も句読点もないが、子孫の判読を容易にするため、敢えて当世風の仮名遣いに替え、自分流で濁点・半濁点・句読点をつけ、カタカナはひらがなに置き換えることとした。また、旧字体など馴染みの薄い漢字についてはその読みを( )の中に記すこととした。
「勅 語」
朕(チン)惟(おも)うに、我が皇祖皇宗、國を肇(はじ)むること宏遠に、徳を樹つること深厚なり。我が臣民、克(よ)く忠に、克く孝に、億兆心を一にして、世々厥(そ)の美を済(な)せるは、此れ我が國體(こくたい)の精華にして、教育の淵源亦(また)實に此に存す。爾(なんじ)臣民、父母に孝、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭謙己を持し、博愛衆に及ぼし、學を収め、業を習い、以て智能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を廣め、世務を開き、常に國憲を重んじ、國法に遵い、一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。是(かく)の如きは、獨(ひと)り朕が忠良の臣民たるのみならず、また以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん。
斯(こ)の道は實に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の倶(とも)に遵守すべき所、之(これ)を古今に通じて謬(あやま)らず、これを中外に施して悖(もと)らず。朕、爾臣民と倶に挙々(ケンケン)服膺(ふくよう)して、威(みな)其の徳を一にせんことと庶幾(こいねが)う。明治二十三年十月三十日
御名 御璽
ramtha / 2015年8月15日