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「漢字とかな」を読んで

「漢字文化を考える」所載の山本七平氏の「漢字とかな」を読んで、いろいろ教えられ、また考えさせられることがあった。忘れないように書き留める。

① 戦後占領軍の中では、アルファベットが一番進化した文字で、日本はカタカナ、ひらがな、漢字とごちゃごちゃした文字を使っていては、近代化できないと考える人々がいたがそうでは無い。

アルファベットというのは、ラテン・アルファベットだけでなく、チルリ文字、ギリシャ系アルファベットがあるし、ヘブライ語は右から左に書く二十二文字からなるアルファベットである。アラビア語も右から左に書く二十八文字のアルファベットである。

トルコは今はラテン・アルファベットを採用しているが、以前はアラビア・アルファベットであった。アラビア・アルファベットというのは中央アジア全部がそうである。タタール人、ウイグル人、モンゴルもそうである。

一番アルファベットが東進したのが、今の中国東北部、当時の満州まで来ていた。清朝では満州アルファベットと漢字を併用していた。

このようにアルファベットは満州まで来ており、むしろ日本は例外ではあるが、アルファベットを使った国は皆発展したかというとそうでは無いことが分かる。

② 象形文字から表音文字を作り出す作業したのは、人類の中で日本人が最後であって、それ以降は無い。

他の後進国は、概ね他からアルファベットを輸入して自国の文字にしている。だから仮名というのは日本語にしかない。

③ 人名や地名を漢字で表記するためには、漢字の音だけを借りて用いることになる。そこで固有名詞が最も早く表音文字化される。

次に「万葉集」の表題とか詞書き(ことばがき)は全部漢文であるが、中の歌は万葉がなで書かれている。

「日本書紀」になると、地の文は漢文であるが、その中の人名などの固有名詞と、引用されている詩歌は全部万葉がなとなっている。

④ 漢字の「土産」と書いて「みやげ」と発音することは考えられない。これは「みやげ」を言う日本語が昔からあって、それに「土産」と言う字を当てたので漢語では無い。

日本では大昔から他人に会いに行く時は、必ず手土産を持って行く風習があったようで、その風習はお歳暮・お中元などとともに今日まで伝えられている。

思うに土産は自分の畑で取れたものが原義であったのではあるまいか。

⑤ 秀吉の朝鮮征伐の時、捕虜となって来日した姜汎(カンハン)は倭族(日本)は大変な野蛮国で、文字が読める人は一人もいないと書いている。

ところがそれよりも少し前に来日したフランシスコ・ザビエルは、日本は不思議な国で、文字を読めない人は一人もいないと書いている。ザビエルが言っているのは仮名で、姜汎が言っているのは漢字である。

⑥ 朝鮮では十五世紀に国王世宗がハングルを作っていたが、士大夫階級の人たちはもっぱら漢文を用い、ハングルを軽蔑して文字として認めなかった。

戦後韓国ではナショナリズムの影響からか、漢字を廃止してしまっている。このため日本統治下で用いられていた学術用語なども失われ、ずいぶん不便なことと思われるが、どうしているのだろう。

⑦ 日本では最初に仮名を使ったのは和歌で、天皇家でもしきりと和歌を作られるなど、仮名は漢字よりも低いものとは考えられていなかった。

⑧ 信長、秀吉などが右筆(ユウヒツ)に書かせる正式の文書は漢字入りとなっているが、家族への手紙や簡単なメモなどは全部仮名で書かれていた。

家康は大変な勉強家と言われているが、漢字は読めなかったのではないか。どうしてかというと、物読み坊主を雇っていて、漢文を日本語に訳して読ませ、これを聞いていたようである。藤原惶窩は家康に使えることを辞退し、代わりに林羅山を推薦しているが、物読み坊主とされたくなかったからではないかと思われる。

⑨ 江戸時代に入ると庶民も漢字を使うようになり、手紙など文章を読みやすくするために、ある程度漢字を入れるようになり、漢字かな交じり文ができた。

⑩ 漢字の利点は見て一瞬に意味が分かることにある。毒薬の便には「毒」と書いておけば、誰にでも見てすぐ分かるが、欧米ではしかるべき文字がないので、代わりに髑髏(ドクロ)の絵が描かれている。

また高速道路の標識の漢字は、デザイナーが工夫して、走りながら読める漢字が作られている。静止してみると変な形をしているが、走りながらでは一瞬に読める、漢字ならではの素晴らしさがある。

(平成二十七年五月十四日)

ramtha / 2015年9月29日