先日も「首相は詭弁を止めよ」という毎日新聞の投書を取り上げ、安全保障関連法案のまともな審議を促したことであったが、国会における安倍総理の説明は問題の本質を離れているようで、今朝の毎日新聞では「不作法な首相答弁」と題する記事で
安倍首相は1日、質問議員に野次を飛ばした一件で陳謝したが、求められていないのに答えようとしたり、周りくどくわかりにくい答弁を繰り広げたり、というのは相変わらず、一国のリーダーの「議論の作法」は、どうなっているのか。
と厳しく批判している。
なおこの記事の中で、政治アナリストの伊藤惇夫氏は全体として「逃げの答弁だ」と分析する。自衛隊の活動範囲拡大で、リスクが高まるかどうかの議論に注視し「リスクを認めると国民の反発が強まると危惧し、何とか言い抜けようとしている感じだ」と指摘。
野次については「長年国会を見ているが、首相が口にするなど聞いたことがない。国会で法案審議をお願いする立場で『早く質問しろよ』などと言うのは極めて非常識だ」とあきれる。「野党が非力なこともあり、なめてかかっているのではないか。批判に過剰に反応する性格も影響していると思う」と述べている。
伊藤氏の見解はまさに同感であり、批判に過剰に反応する性格は、できの悪いぼんぼんそのままで、人格的にはまだ大人になっていないと言わざるを得ない。
首相の性格は別として、自衛隊の活動を拡大の是非についての本質的論議が欠落していることが重大な問題であると私は考えている。
そもそも理不尽な外国から侵略される時は、これに立ち向かうのが自衛隊の任務であり、その任務遂行にあたって犠牲者が出る事は致し方ないことである。
また同盟国の戦闘行為を支援する以上は、後方支援といえども、いつ戦闘に巻き込まれるかわからないのが戦争の現実というものである。
そうした避けられない被害の現実から目を逸らすことなく、戦闘に参加するか否かの覚悟について与野党を問わず真剣に審議してもらいたい。
また、その審議を見守るすべての国民も、専守防衛の戦争であっても、犠牲者を出すことなく自国を守る事は不可能である事を認識していなければならない。
一人の犠牲者も出さず戦争に勝つためには、近頃アメリカで開発されている無人飛行機や戦争ロボットに頼らねばならないが、日本ではまだ夢物語に過ぎない。
安倍総理はじめ国民の大半が戦争を知らない世代となった今日、戦前生き残りの一人としてすべての国民が犠牲なくして国は守れないということを認識して、安全保障について真剣に考えるよう提言する。
(平成二十七年六月二日)
ramtha / 2015年11月29日