今日の毎日新聞には「日本とトルコ友好の懸け橋」と題して1890年(明治二三年)和歌山県串本町沖で沈没したトルコ軍艦エルトゥールル号の一二五周年追悼式典が昨日行われたことを伝えている。
このような歴史があったことなど、私自身学校で教えられたこともなく、手元の日本史年表(東京学芸大学日本史研究室編)にも、また岩波書店出版の広辞苑にも記載されていないので、その記事の脇に掲げられている「エルトゥールル号遭難事故」の説明書きを、次に転記する。
明治天皇と会見して帰国途中のトルコ親善使節団らが乗船した軍艦「エルトゥールル号」が1890年9月16日、暴風雨に見舞われ和歌山県串元町沖で沈没。500人以上が犠牲となったが、住民の懸命な救助と介抱で69人が助かった。これを機に両国の友好関係が続き、トルコ政府は1985年、イランイラク戦争でイランに足止めされた日本人救出のため特別機を飛ばした。
なお式典には日本トルコ協会総裁の彬子女王殿下、トルコ議会のジェミル・チチェッキ議長、アフメット・ピュレント・メリチ駐日大使をはじめ両国の関係者ら約600人が参列、献花して犠牲者を追悼したという。
また現在、エルトゥールル号遭難事故から時代を超えて受け継がれてきた人々の絆、真心を描く日本トルコ合作映画「海難一八九〇」の製作が進められているとも記されている。
(平成二十七年六月四日)
ramtha / 2015年11月30日