先日アメリカ南部のサウスカロライナ州チャールストンの黒人教会で、三十一歳の白人男性ディラン・ローフが銃を乱射し九人を殺害する事件が発生した。
この事件に関する今日の毎日新聞の記事から、私の目を惹いたいくつかの点について考えてみる。
犯人は自身のものとみられるウェブサイトで人種差別を肯定し「やるしかない」と襲撃予告とも受け取れる声明文を残していた。声明文は「覚醒」のきっかけとして、フロリダ州で2012年2月に黒人少年がヒスパニック系白人の元自警団員に射殺された事件をあげた。13年7月の無罪評決を受け、人種差別だとする抗議デモが各地で発生したことについて「黒人による何百件もの白人殺害が無視されているのに、なぜこの事件が誇張されるのか」を訴えている。
私は毎日新聞だけしか購読していないからかも知れないが、今まで黒人による白人殺害事件の記事は、あまり見ていない。
犯人の訴えが正しいとすれば、日本のマスコミはこれまで黒人による白人殺害事件は無視してきたのだろうか疑問になる。
私の想像が正しく、犯人の訴えが正しくないならば、それを説明する記事がなければならないと思われる。このままでは、日本のマスコミは黒人寄りの報道をしてきたことを認めたことになるがどうなんだろう。
サウスカロライナ州では今度の事件を機に、南北戦争(1861年~65年)時代の「南部連合旗」の扱いをめぐる論争が再燃し、次期大統領選挙候補者も巻き込んだ議論に発展している。
きっかけは事件後、州議事堂の星条旗と州旗が犠牲者9人に弔意を示すため半旗にされた一方、連合旗はいつも通り掲揚されたことだった。同州は南北戦争で、奴隷制度の維持を求める南部連合に参加した歴史を持つ。人種差別に基づく増悪犯罪の疑いのある今回の犯人は、自分の車に連合旗のデザインをあしらったナンバープレートを設置していた。
米国メディアによると、全米黒人地位向上協会(NAACP)は「増悪の紋章」だとして連合旗の撤去を要請。一方、保守派団体は「150年前の(南北戦争を戦った)先人達の努力に敬意を表したものだ」として旗の撤去に反対している。
連合旗はもともと州議事堂の上に掲げられていたが、NAACPなどの反対運動を受け、2000年から議事堂近くに移され、星条旗と州旗が議事堂の上に掲げられた。ただ、連合旗の掲揚の仕方を変更する場合は州議会の承認が必要となった。
犯人を死刑にすべきだと公言しているヘイリー州知事(共和党)も、連合旗の撤去に関しては明言を避けている。
歴史認識を問われる問題だけに、16年大統領選挙の候補者達も発言には慎重だ。
アメリカの南北戦争といえば、奴隷制度廃止の賛否を問う戦いで、善玉の北に対して南は悪玉であったぐらいに思っていた私は、未だにこれほどの後遺症があるとは知らなかった。
明治維新から今年は147年で、ほぼ同じ年数を経過している。当時、薩摩・長州の官軍と関東・東北の佐幕各藩が銃火を交えたのだが、私の知る限りその恩讐の残滓(ざんし)はどこにも見られない。どうしてだろう。
事が終われば全て水に流して、受けた被害は千年経ても忘れないという「恨」の国・韓国は別としても、よろず淡泊な日本人が世界の例外のように思われる。グローバル化が急速に進む今日、異民族と共生していく上で、認識しておく必要があるようだ。
オバマ大統領は19日この事件に絡み、全米ライフル協会(NRA)が議会を掌握しているため、銃規制強化の法整備は望めないと改めて認めた(中略)
大統領はインタビューで「議会のNRAの支配力は極めて強い」と指摘。「今の議会で何らかの法的措置が取られるとは予見していない。国民が切迫した感覚を十分に抱くまで、確かな措置を講じることができるとは思えない」と述べた。
アメリカで銃乱射事件が発生する度に、銃保持の規制が問題となってきたが、未だに実現していない。銃砲刀剣類所持等取締法によって、厳しく取り締まられている日本人から見れば、アメリカ人はよく安心して眠れることだと思うが、各自が銃を保持しているから、私たちが心配するほど危険の中にいるとは感じていないのかも知れない。
かつてテレビの西部劇映画をずいぶん楽しんだものだが、あのような開拓の歴史の上に今日のアメリカがあるわけで、そのDNAを入れ替えるなど至難の業ということかも知れない。
最近日本も凶悪犯罪が増加して世相の悪化が嘆かれているが、世界各国から見れば、まだまだ一番安心して眠れる国なんだろう。
だが、アメリカのライフル協会のように議会を制圧するような勢力の台頭を許さないよう、日本国民は常日頃から目を光らせておかねばなるまい。
(平成二十七年六月二十二日)
ramtha / 2015年12月4日