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「キューバのカストロ議長の夢」

長年国交を断絶していたアメリカとキューバが最近国交正常化に動き出したと伝えられている。まだどういう成り行きになるのか分からない。

日米同盟の関係でアメリカの事は広く知られているが、キューバのことは指導者カストロの独裁国家と言う以外は全くと言っていいほど知らない。
そこでまずは広辞苑を引くと、次のように説明されている。

カリブ海西インド諸島沖最大の島、キューバ島を中心とする共和国。1898年米西戦争の結果、1902年スペインから独立するが、アメリカ合衆国に従属。59年フィデル・カストロを指導者とする革命が起こってパティスタ政権を倒し、61年には社会主義体制を宣言。主要産業はさとうきびとタバコ。面積1万5,000平方キロメートル。人口1124万人。

ところが、元外交官として世界各国で四十年余り勤務した馬渕睦夫氏の「そうか、だから日本は世界で尊敬されているのか」を読むと、そのカストロについて、今まで知らなかったことの数々を教えられた。老骨の頭に刻みこむために、そのいくつかを抜粋転記する。

私は2000年から2003年までキューバ大使として勤務しましたが、キューバに行ってみると「いろいろな意味で日本の参考になる国」という印象を強く持ちました。キューバは社会主義国だから「国民はさぞ政府の弾圧に苦しんでいるのではないか」「言論の自由がないのではないか」「ものが不足しているのではないか」等々 、日本人は反射的に思い浮かべると思います。

確かにそういう側面がないわけではないですが、三年間、カストロ議長とキューバ指導者の姿を間近で観察していて、「カストロ議長はどういう国を作りたかったのか」ということがよく分かりました。一言で言うと「人間の限りない欲望を抑制して平等な社会を建設したい」 。これがカストロ議長の目指すキューバでした。

キューバの人たちは私に「ものが少ない事は不便だけれども決して不幸では無い」と何度も語ってくれました。この言葉を聞いたときに、最初は強がりを言っているという気がしないでもありませんでした。
しかし3年間、キューバで生活すると、それが決して強がりでは無いことを実感させられました。社会主義国のキューバは計画経済だから、なかなか消費物資が国民の隅々まで行き渡らないと言う傾向にありますが、キューバの人々は本当に「ものが少ない事は不便だけども、決して不幸では無い生活」をしていたのです。

「ものが少ない事は不便だけども、決して不幸では無い生活」とはどういうことでしょうか。カストロ議長の哲学は「ものが溢れる大衆消費社会ではなくて、文化の豊かさが本当に人間を豊かにする。」
そのためには教育が重要であることであり、1959年のキューバ革命以来、この方針を貫いてきたのです。余談になりますが私が観察した限りでは、カストロ議長は社会主義者と言うよりも人道主義者、ヒューマニストと言った方がより実像に合っている気がします。

実際キューバは文化大国なのです。十五年ほど前に、キューバのプエナ・ビスタ・ソシアル・クラブを言う音楽クラブが突如ブレイクし、演奏が日本でも行われました。音楽ひとつとっても世界的水準にあります。スポーツではオリンピックでメダルを獲る選手を数多く輩出しています。

また、キューバの舞踊は世界的にも有名で、私たちがラテンのダンスと思っているものは、ほとんどがキューバと関わりがあるのです。従って日本人も知らず知らずのうちにキューバのダンスに親しんでいるはずです。
例えばサルサというダンスはキューバ発祥です。このようにキューバを世界の文化に貢献する文化大国に作り上げた事はカストロ議長の功績といえます。

意外にも知られていないことですが、カストロ議長は大の日本ファンです。なぜ日本に関心を持ち、日本ファンになったのか。そのきっかけは、第二次世界大戦の終了間際、日本に原爆が落とされたことでした。 「ニュースを聞いて胸が痛んだ」とカストロ議長は話してくれましたが、以来、彼の関心は「日本がいかに第二次世界大戦の被害から甦って復興を遂げたか」であり、彼の夢は「自分の目で広島を見てみたい。そして、原爆の洗礼を受けた広島がいかに復興したのかを確かめたい」と言うものだったのです。

この願いはなかなか叶えられませんでした。ところが2003年にカストロ議長は日本を訪問しました。訪問といっても、アメリカの意向を考慮した結果、形式上は専用機の給油のための立ち寄りということになっていました。いずれにしても、カストロ議長は日本の土を踏み、念願の広島訪問を果たしました。

任国の元首が来日するので、私も日本に帰ってカストロ議長の接遇にあたり、広島までお供しました。カストロ議長は原爆の犠牲者に対する深い哀悼の念を示し、その思いを帰国後、議会での報告を通して、キューバ国民にこう伝えています。
「気高く寛大な日本人は、原爆の投下者を憎む言葉を一言も発しなかった。その代わりに、このような悲劇が二度と起こらないように、と平和記念碑を建立して世界平和を祈り続けてきた。」
カストロ議長の日本人に対する温かいシンパシーの情が感じられる言葉です。

なお一言付け加えますと、昭和天皇が崩御された際、国を挙げて喪に服してくれたのが、世界広しといえどもインドとキューバのみです。キューバの日本に対する親愛の国民感情を如実に説明して余りある話と言えるでしょう。

このカストロの言葉の中で、日本は原爆を落としたアメリカを憎むことはしなかった、と述べていることに注目したいと思います。
この関連で私たちが思い出すのは、広島の原爆碑に刻まれた次の言葉ではないでしょうか。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」
この原爆犠牲者に手向けた碑文は、日本人の間で様々な議論がありました。最大の問題は、過ちを繰り返さないと誓うべきなのは原爆を投下したアメリカではないか、ということでした。素直に読めば、この文章の主語は日本と読めるからです。この論戦は今も続いています。

そこで、私はこの文章を次の意味に解するようにしてはどうかと提案します。
「原爆を投下したアメリカの過ちに対し、日本はアメリカに原爆を落としたと仕返しして復讐するという過ちを繰り返すことはしません。だから亡くなられた皆さん、どうか天国で安らかにお休みください」と。
この解釈なら、国民のコンセンサスを得ることができるのではないでしょうか。原爆を投下されたにもかかわらず、日本は決してアメリカに復讐しないという高貴な精神を示すことができるからです。

だから、アメリカは日本の復讐を恐れる必要ありません。原爆投下が戦争犯罪で有る事を認めても、日本は決してアメリカに復讐しないことが分かれば、アメリカはいずれ自らの戦争犯罪を認めることになるのでは、と期待しています。

私たちはアメリカが国際法に違反する戦争犯罪を犯した事実は指摘しますが、その罪を追求することはせずに、アメリカ自身の自浄作用に期待して辛抱強く待ちたいと思います。この態度は決して水泡に帰することはないでしょう。アメリカ国内に原爆投下の非人間性を反省する声があるからです。

例えば、ハーバート、フーバー元大統領は回想録の中で「原爆投下は、すべてのアメリカ史を振り返ってみても、前代未聞の残虐行為である」と述べるとともに「アメリカの良心を永遠に苛み続けるだろう」と記しています。

このような良心の呵責を解くことができるのは、結局、私たち日本人の態度にかかっています。先般の安倍総理の訪米においては、日米の和解が強調されましたが、日本とアメリカが本当に和解できるのは、原爆投下についての和解にかかっていると思います。

キューバとアメリカの国交回復はこれからだが、ここに見るカストロの夢は今後どうなるだろう。国交回復によってキューバの経済は豊かになることだろうが、アメリカナイズされて、キューバの国民の幸せが失われる事はないか。
甚だ気になるところだが、それを見届ける時間は残念ながら私には残されていないようである。

(平成二十七年七月十五日)

ramtha / 2015年12月28日