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「ナリチュウ記事」

小学館出版の月刊雑誌SAPIO九月号に「日本を貶めることに血道を上げる人々」と題する麗沢大学教授八木秀次氏の論説が掲載されている。

私がかねて感じていた新聞社の自虐的記事に対する嫌悪感を具体的に解説されており、納得する部分があったので、転記しておく。

中韓が仕掛けてきている対日歴史戦を考えるとき、見逃してはならないのは日本の新聞が書き立てるデマや誤報が利用されていることだ。慰安婦問題から靖国、歴史教科書問題まで、数々の報道を検証すると、メディアの罪の大きさが浮かび上がって来る。

日本の新聞が得意とする「中国や韓国を利用して日本を貶める」報道はワンパターンだ。
まず、歴史認識問題など、日本と中国・韓国の間で「火種」となりそうな事柄を紙面に取り上げる。すぐさま相手国の関係者に「日本でこう報じられたがどう思うか」と問いかけ、その答えを大々的に報じ、「成り行きが注目される」と結ぶ。いわゆる「ナリチュウ記事」である。

戦時下の一例が、南京攻略中、東京日々新聞(現毎日新聞)が報じた「百人切り競争」だ。日本刀でどちらが先に百人の敵を切るかを陸軍将校の野田毅氏と向井敏明氏が競ったと言う記事だった。(野田「おい俺は百五だが貴様は?」向井「俺は百六だ」(東京日日新聞1937年12月13日付)

日本刀で百人もの人間を切れるはずがなく、明らかに戦意高揚と販売部数増を狙った作り話だが、中国は日本兵の残虐性を象徴する証拠として、今もこの記事を南京大虐殺記念館にパネル展示している。戦後も朝日新聞を始めとする新聞は中韓に火種を撒き散らした。百人切り記事のような「売らんかな」ではなくイデオロギーに基づくものなのでよりタチが悪い。

最大の例は靖国神社である。戦後、日本の首相が靖国神社を参拝しても中国は特段、問題視しなかった。ところが79年4月に朝日新聞社は(永久戦犯14人靖国神社合祀 賛否 各界に波紋)(4月19日付)と火種を投じた。同月21日に大平首相が靖国参拝すると、(「永久戦犯」合祀が大きなニュースとなったため、外国人カメラマンを含む約50人の報道関係者が首相を待ち受けた)」と炎上用の油を注いだ。

しかし、当時の中国は無反応だった。同年10月に大平首相が靖国を参拝した際も中国からの批判は皆無だった。当初は「炎上作戦」は失敗に終わったのだ。だが、繰り返しメディアが靖国参拝を問題視する報道を続け、「靖国」は外交問題に発展して行く。

朝日新聞と左派政党の「ご注進」

状況が大きく変わったのは、中曽根康弘首相が個人として靖国参拝を明言した85年だった。このとき、朝日新聞は再び「反靖国」の一大キャンペーンを始めた。

(靖国神社は戦前、戦中を通じて国家神道のかなめに位置していた。軍国主義日本のシンボルだったことも見逃すことのできない歴史的事実である。)(85年8月4日付)
(靖国問題が今「愛国心」のかなめとして再び登場してきたことを、中国は厳しい視線で凝視している)(85年8月7日付)

それでも中国政府は、終戦記念日に中曽根首相が靖国を参拝しても目立った反応はしなかった。畳み掛けるように、8月末には社会党訪中団が北京に飛び、「中曽根内閣は軍事大国を目指している」と「告げ口外交」に勤しんだ。

朝日新聞と左派政党の「ご注進」に釣られた中国の要人やメディアはここから靖国参拝批判を開始。中曽根首相は同年秋の例大祭での靖国参拝を断念せざるを得なくなった。つまり中国が靖国で騒ぎ出したのはここ30年の話なのだ。こう見ると、靖国参拝が中国の外交カードとなったことに果たした朝日の「役割」が大きいことがよく分かる。

朝日だけではない。82年6月には教科書検定中の文部省が高校日本史の「侵略」という文章を「進出」に書き換えさせたと日本のメディアが一斉に報じた。
(日本の中国に対する「侵略」は「進出」である、といった変更求めるのは、歴史を正しく認識させる上で、決してプラスにはなるまい)(読売新聞、82年6月26日付社説)

実際は、書き換えの事実はなく、日本テレビ記者の勘違いが生んだ明らかな誤報を新聞各紙が広げたのだった。

しかし中韓はその(虚偽)報道をもとに日本に激しく抗議した。
当時の鈴木善幸内閣は中韓に配慮し、宮沢喜一官房長官が「政府の責任で教科書の記述を是正する」と約束した。その結果、教科書を作成する際、近隣のアジア諸国に必要な配慮をすると言う「近隣諸国条項」が設けられた。

「慰安婦狩り」の虚報

90年代に入り、過去最大級と言えるデマ報道が飛び出した。朝日新聞の「慰安婦狩り」報道である。吉田清治氏(故人)の証言としてこう報じられた。

(突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します、そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に(略)殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、一つの村から三人、五人、あるいは十人と連行していきます)(朝日新聞91年5月22日付)

吉田氏のこうした荒唐無稽な証言を朝日新聞は十六回も強制連行の証拠として報じた。

一連の報道をきっかけに「二十万人の婦女子が強制連行され、性奴隷にされた」と言う事実に基づかない言説が世界中に流布された。韓国メディアや世論は激しく反発して日韓の重大な懸案事項となった。
朝日新聞は昨年八月に吉田証言報道を取り消したが、本人の意に反して慰安婦とされる「広義の強制性」は、あったと都合よく議論をすり替え、真摯に反省する態度を今も見せていない。

これらの例からわかるように、戦後七十年にわたって日本と中韓の関係が悪化した一因は、両国政府と国民の間に入って、対立を煽った日本の新聞報道にある。中国や韓国の国民から見れば、「日本の新聞が報じるから本当のことだ」「日本は靖国参拝で戦争を始めようとする。我々をまたも支配するのか」との思いを抱いても仕方のない面がある。

朝日新聞を筆頭とする日本の新聞は常に上から目線で「権力の監視」を強調するが、ジャーナリズムの第一の使命は権力批判ではなく、真実を伝えることである。権力を批判したいがために事実をねじ曲げ、中韓にご注進を図り、自国を貶める新聞は国益を損ねていると言う他は無い。

今後も彼らの「伝統芸能」は続くだろう。国民は新聞を逆に監視する必要がある。

以上、八木秀次氏の解説の全文を掲げたが、かねて私が憤慨に耐えなかった日本のマスコミ報道について、具体的資料を上げて批判されておられるので、誠に爽快な気分を味わうことができた。
しかし、八木氏も述べられておられるが、日本のマスコミの悪弊は今後も続くことが憂慮される。私を含め一般大衆には、マスコミの虚報を見抜く事は、なかなか難しい。ともすれば彼らの情報に踊らされることになりがちである。願わくば八木氏に今後ともこのような啓蒙活動を続けてもらいたいものである。

(平成二十七年八月十三日)

ramtha / 2016年1月19日